都市と地方の二項対立を乗り越えるために-コロナ後は固有名詞で地域を語る/地方の大都市化-

1800年代後期、社会学者G. ジンメルはドイツの首都ベルリンが「地方」から「都市」へと変容していく過程をその目で見ていた。ユダヤ人として生まれ常に差別と偏見に向き合ってきたジンメルにとって、地方は出自やバックグランドによって判断される窮屈な場所だった。

対して都市は「金」と「肩書」によって人は判断され、どの宗教を信じるのかどこで生まれたのかはコミュニケーションにおいて必要ない。彼は都市化するベルリンをみてこう思った「都市は人を自由にさせる」と。

ジンメル『大都市と精神生活』にみる「大都市」と「小さな町や田舎」の違い

ジンメルは論考「大都市と精神生活」の中で、地方の典型的な小さな町や田舎と比較して大都市の特徴を丁寧に分析している。彼は決して大都市を批判するだけでなく、小さな町や田舎のよくない点も取り上げながら両者を細かく比較した。

彼の分析は新型コロナウイルスをキッカケに沸騰する「都市の限界と地方の可能性」論調を分析するのに、いまだ色褪せない視角を提供してくれる。ジンメルは大都市と小さな町・田舎の違いを下記の図のように整理した。

項目大都市小さな町や田舎
心理的な状態(p4)急速に集まるイメージの変化 鋭い不連続性 思いがいけない印象の奔流 田舎と異なる量の意識を要求ちょっとしか違わない印象 規則正しい習慣的変化 ゆっくりした生活リズム 習慣的かつ静かな心象の流れ
知性について(p4)神経的刺激が強化され自分自身を守る器官を発達させたため、頭・知性で反応する。精神的な部分やパーソナリティを重視し、心で反応する。
貨幣と個性について(p5)常に貨幣経済の中心、合理的で無関心な人間の集まりのため、客観的に計測可能なものが関心の対象個性が、否が応でもわかる あたたかい基調の行動・奉仕とお返しの差引勘定を超えた行動
匿名性(p6)匿名性が高い→双方の関心が無慈悲で即物的になる匿名性はなく、個性が際立つ
歓楽に対する態度(p9)際限なく快楽を求める生活の結果、歓楽に飽きる(神経が鈍り反応しなくなる) →差別に鈍感となる(貨幣的価値のみで評価)歓楽に飽きた態度を示すことは少ない(神経が正常である)
→差異や違いに対して敏感=個性の際立ち
態度について(p10)控えめな態度大都市の人々を「冷たくて薄情な人間」と捉える
社会圏によるもの(p14)都会人は交渉で洗練された意味で自由 (大都市での生活を通して個人の独立性に強い影響をうける)住民を取り囲む度量の狭さや偏見がある
社会的交渉(p17)人と人との接触が短く少ない 要を得ている 集中的で特徴的に見えるようにしようという誘惑が強い=個性化への誘因が強い交際が頻繁で長いために他者の目にパーソナリティがはっきりとイメージされ映し出される雰囲気の中にいる個人であることが多い→社会的交渉が都会人より長く多い

また社会形式(社会圏)のサイズの違いから以下のような分類もしている。

小さな社会圏 (小さな町)固く閉ざされている。 緊密に凝集 個人成員の個性発達や自由な自己責任に基づく運動は× 自己保存のための教会と求心的な一体性が重要政治集団 親族集団 党派 宗教組織 ※社会圏の規模で変わる
拡大した社会圏 (大都市)統一が弱まる 相互関係や結合が進む 他者への厳しさは減退 個人は自由を獲得 特殊な個性も獲得(分業による)国家 キリスト教会 ギルド 政党

現代を生きる私たちは「大都市的なパーソナリティ」を身につけている

私たちが押さえておかなければならないのは、ジンメルは大都市を人口増によってこれまでと異なる様相を呈した空間と捉えていると同時に、大都市で生きる人々に近代を生きる人々のパーソナリティをみた点である。

近代を経て現代を生きる私たちは、大都市に住んでいるか小さな町・田舎に住んでいるかにかかわらず、ジンメルがみた「大都市的なパーソナリティ」を多くの人が身につけている。地域のサイズによって異なることもあれば、時代によって備わったパーソナリティのように地域のサイズが変っても変わらないことはある。大都市的なパーソナリティは後者にあたるだろう。

一方、地域のサイズによって人口規模によって備わるパーソナリティが異なることもまた事実である。これはジンメルの時代から変わらない。東京23区で育った人と長野県の小さな町で育った人とでは備わるパーソナリティには違いがあるだろう。

歓楽(刺激)に対する態度と移住

ジンメルは大都市で育った人の「歓楽に対する態度」について、際限なく快楽を求める生活の結果、歓楽に飽き差異に鈍感となると述べている。これは膨大な刺激に日常的に触れることで神経が鈍くなり反応しなくなることを意味する。

歓楽に飽き差異に鈍感となった大都市で育った人が小さな町や田舎に移住したとき、2つのパターンに分かれる。第一は膨大な刺激から解放され神経の鈍感さが回復し、新たな刺激を楽しめるようになるケース。第二は大都市の膨大な刺激で鈍感になった神経が回復することなく、移住後も刺激を求め続けるが大都市とは異なるレベルの刺激と差異では歓楽を感じられずおもしろさが感じられないケース。

移住後、数年過ごしていれば神経の鈍感さは変わるかもしれないが、変わり始める前に刺激が足りず小さな町や田舎に耐えられなくなった結果、大都市にUターンするケースは少なくない。

地方移住の加速が持つ「地方の大都市化」の側面

新型コロナウイルスの影響でテレワークやビデオ通話が普及したことで、場所に縛られなくなり地方への移住が進むと予想する識者は一定数いる。私も移住したいと考えていた人がこれをキッカケに移住するようなケースは増えると思う。

しかし「大都市」と「地方」の構図で現在の流れをみたとき、果たしてそれは「地方」にとってプラスなことなのだろうかと立ち止まって考える必要はある。

大都市の特徴は、内的な生活が、遠く離れた全国的あるいは国際的な領域に波を打って流れ出ていくこと、そして物理的な境界を超えて機能的に広がっていることである。これを端的に表す言葉がグローバル化(グローバリゼーション)である。

地方に移住する人々はグローバル化による都市化と個人化の加速を避け、より人間らしい生活を求めて地方に移住する。しかしテクノロジーによって地方移住が加速すると考える多くの人は「大都市的なライフスタイル」と「ワークスタイル」そして「大都市で構築した社会関係資本」を携えて地方に移住することを前提とし理想ともしている。

なぜなら地方の小さな町や田舎には「人を自由にさせる空気」はないことがわかっているからである。地方に移住してビデオ通話で都市の仲間とコミュニケーションをとり、テレワークで都市から仕事をもらい、理想の地方生活にフィットするコンテンツだけを都市でつくった社会関係資本の中で消費する。

テクノロジーが進歩したことで加速する地方への移住は、大都市的な特徴が境界を超えて地方に広がっていく、一種の「地方の大都市化」でしかないのである。移住する場所は地理的には「地方」かもしれないが、生きているのは確実に「大都市」なのである。

消滅しつつある「大都市」と「地方」の二項対立

これにはしょうがない面もある。小さな町に急におかれた都会人は息苦しさや障壁をいつの時代も感じてきた。社会圏が小さく他者との関係が制限されているほど、社会圏は熱心に個人の業績達成と生活行為の達成・抜け駆けを警戒する。

テクノロジーが進歩したことで量的・質的な専門化が容易になればそれだけ、小さな社会圏全体の枠組みが打ち破られる。それはある側面からみれば「地方の悪しき共同体性」を打ちこわす正義の営みといえるかもしれない。

それは同時に地方に多い小さな町や田舎の特徴を壊し大都市化させることだともいえる。いまや「大都市」と「地方」の二項対立は消滅しつつある。地方にも都市はある。そして都市にも小さな町や田舎の特徴をもったコミュニティは多数ある。テクノロジーの進歩で大都市化されつつある地方は、もはやこれまでの地方の特徴を消しつつあり良くも悪くも大都市化している。

大都市化した地方のアイデンティティは融解している。人間の細胞が日々変化しているように、地方を構成する細胞も日々変化しており昨日の地方と明日の地方の姿は別物になっている。1人が大都市から地方に移動すれば大都市も地方も変容する。

だからこそ、「都市」と「地方」の二項対立で語ることの意味はなくなってきている。安易な二項対立は現実に対して盲目にさせる。

こういった言説はこれまでも存在した。モータリゼーションによる郊外化は最たる例だろう。しかしモータリゼーションが加速した時代にはインターネットはなかった。インターネットは場所をこえて大都市的なワークスタイルと大都市で構築された社会関係資本を地方で活かすことをはじめて可能にした。できる環境が整いつつあった2020年にコロナ危機が起こったことで、これまで懐疑的だった人たちもテクノロジーの可能性を肌で実感した。これはこれまでとは大きな違いである。

想像の都市イメージ/地方イメージを実像に変える「固有名詞」

では、私たちは一体「都市」と「地方」をどのように語ればいいのか?私は日常と経験に即して「固有名詞」で語ることを勧めたい。「私が地方というとき想定する地方は住んでいる○○町である」「いま私が住んでいる都市は○○区である」というように。

今日まで「都市」と「地方」と何気なく使ってきた言葉は、多くの場合会話や情報発信において、あなたがイメージする「都市」「地方」と、相手がイメージする「都市」と「地方」のは違っている。異なるイメージをなんとなく共有しながらコミュニケーションしていることにまずは自覚的になる必要がある。私たちは言葉でイメージを完全に共有できることはできないのだから。

よりリアリティをもって都市と地方の話をするために、話者の視点と経験によって何を指すかが変わる都市と地方という言葉を安易に使わず、固有名詞と経験をベースに話をしよう。なぜなら都市も地方もそれは想像の共同体であり、1人1人の人間と個性をもった地域で構成されたものだから。

最後に-「それでも、なぜ私は移り住むのか?関係を結ぶのか?」-

安易な二項対立を避けて固有名詞で地域を語ることが、新型コロナウイルス後のニューノーマルで移住を語る際に重要になる。今まで以上に「地方移住の促進は地方の都市化の促進」だという事実を1人1人が自覚したえうで、「それでもなぜ私は移り住むのか?関係を結ぶのか?」を深く考えなければならない。


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この記事を書いた人

Masato ito

国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員/講師。長野県出身。博士(社会学)。一橋大学大学院社会学研究科、日本学術振興会特別研究員を経て2024年より現職。専門は地域社会学・地域政策学。研究分野は、地方移住・移住定住政策研究、地方農山村のまちづくり研究、観光交流や関係人口など人の移動と地域に関する研究。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員。武蔵野大学アントレプレナーシップ研究所客員研究員。日本テレビDaydayやAbema Prime News、毎日新聞をはじめ、メディアにも多数出演・掲載。