どうすれば暇な時間は充実するのか?学びと孤独のすゝめ-セカキャンラジオ文字おこし&音声コンテンツ 第3回-

新型コロナウイルスによって私たちは「インターネットを通したコミュニティ」が増えて、改めて「オンラインとオフラインの違い」について考える機会を得ました。長野市でイベントスペースENKAIを運営する団体2nd Canvasはコロナ自粛中に学べるコンテンツとして「セカキャンラジオ」をスタートし、2020年4月29日の放送にKAYAKURA代表の伊藤が出演しました。

KAYAKURAではセカキャンラジオの模様を全3回に分けて記事化し公開します。テーマは「オンラインで何が変わった?」最後となる3本目のテーマは「暇で退屈な時間をどう過ごすか」です。土日遊びに行けない、夜に飲みに行くこともできない、そんな状況をいかに充実させるかをディスカッションしています。

なお本記事のもととなったラジオはこちらから聴くことができます。記事では3回に分けていますが音声は約40分で1本にまとまっていますので、ぜひ聴いてみてください。第1回の記事はこちら、第2回目の記事はこちらからご覧ください。


『暇と退屈の倫理学』からコロナ自粛中の過ごし方を考える

樋口 最後に話したいテーマは「暇」についてです。外出ができなくなって偶発性が減ったことも課題ではありますが、最も大きな課題は「暇な時間が増えたこと」ではないかなと。休日に遊びに行けず夜に飲みに行くこともできず、そんな風に暇な時間が増える中で哲学者 國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』という本を思い出しました。確か数年前に伊藤さんに紹介してもらった覚えがあります。

この本では、もともと人間は狩猟民族で移住を繰り返していたが、農耕民族になり定住したことで、情報不足になり暇な時間ができたという歴史が書かれています。ノマドで移住を繰り返していたときはその日その日で異なる場所を訪れ、常に生きるためにさまざまな情報を処理していました。しかし定住すると新しい情報を処理する必要がなくなるので、脳は処理能力を満足に使わず「退屈」を覚えたのです。

僕らはいままさにこの状況にあるのだと思っています。これまでは定住する拠点という家はあるものの、毎日外に出ていろんな人と会って新しい情報に触れることである程度情報量が多い生活をしていました。しかし外出自粛で家にいる時間が増えたことで情報量がとても減った。他者とのコミュニケーションも必然的に少なくなるので、「退屈な時間をどう過ごそう」という不安を抱え始めているような気がします。僕がまさにその状況で課題意識があります。

伊藤 いまコロナをキッカケに退屈をどう過ごすかに注目が集まっていますが、将来、ベーシックインカムが導入されたり汎用性AIの役割が増したりすることで、同じテーマに何度も人類は向かい合うことになります。退屈な時間の問題はこの短期間のテーマではなく、長い人類の歴史上で考える必要があるということです。

暇の反対は事件による興奮や刺激である

伊藤 自由に時間が増えたとき、時間をいかに有効に使うのかは個々人の主体性や能動性に求められます。自由な時間が増えるということはコアーシブが減退することを意味する。幸福論の著者パートランド・ラッセルは「暇の反対は楽しさではなく興奮や刺激である」といいました。表現を変えるとこれは「事件」を意味します。つまり私たちは常に事件を求めていて、これは第2回の話ででてきた「偶発性」とほぼ同義と捉えられます。偶発的な事件によって退屈は紛らわされているのに、計画的で合理性を追求した近現代これらをできる限り排除しようとしてきたわけです。よって退屈はさらに増大する。

暇と退屈の倫理学では、こうして生まれた退屈で暇な時間の使い方が「消費」になったことが問題だと指摘します。ジャン・ボードリヤールは戦後の消費スタイルを記号消費と表現しました。広告やメディアに大きな影響を受ける記号消費には終わりがなく瞬間的な快楽はありますがそれは永続せずそこには事件性もありません。

そこで著者が提唱するのは消費ではなく、暇で退屈な時間を生産にあてることです。生産的な行動には一定以上の教養やスキルが必要とされます。つまり暇や退屈を生産的な時間にするためには、広い意味での「学び」が欠かせないということです。

暇で退屈な時間を生産的な時間に変えるためには「学び」が欠かせない

樋口 まさに、そこですよね!暇と退屈の倫理学では3つくらい提案をしていたと思いますが、僕は貴族を見習おうという部分が特に刺さりました。貴族は奴隷を使うことで労働から解放されたことにより暇で退屈な時間がとても増えました。そこで彼らは音楽や美術、ダンスや食事など教養がないと楽しめないものを好み時間をつぶしたと。美味しいワインを「美味しい」と感じて楽しむためには、学ぶ姿勢です。

僕らも「楽しむための学び」に今こそ時間を割くべきなのかなと思っています。料理やフィットネスに挑戦するにしても「なぜそれが楽しいのか」「なぜこれにハマるのか」という根本的な部分から学ぶことで継続的に楽しめるような気がします。

伊藤 「つくって楽しい!」「身体が動かせて楽しい!」だけでもいいけれど、せっかくなら「なぜこのタイミングでニンジンを使うのか、玉ねぎではダメなのか」とか「このポーズで動かしているのはどの筋肉か」と一歩踏みこんで考えることで生産性も高くなりますよね。それに考えて行動したことは将来的に汎用性がある応用できる知識になっていきます。

貴族と同じく歴史上最も暇だった民族に古代ギリシャのポリスの男性たちがいます。彼らは、労働を奴隷に任せ家のことは女性に任せた結果とてつもなく暇になったので、1日中広場に集まって考え議論していたわけです。今日まで名が知られる多くの古代哲学者はこの時代に誕生しました。

孤独のすゝめ

現代を生きる私たちには普段、暇な時間は実はあまりありません。目の前の課題や仕事に追われ疲れて家に帰ったらご飯を食べて風呂に入ってちょっと趣味を楽しんで就寝、これの繰り返しだからです。「考える」ためには「暇」ともう1つ「孤独」が重要です。なぜなら他人がいれば思考に耽ることはできないですし、電子メディアがあれば我慢できずにチェックしてしまいます。

樋口 そうか、孤独じゃないと人って考えないんですね。

伊藤 孤独な時間がないと人は自分と向き合わないですよね。インプットも重要ではありますが、インプットしたことをいかに咀嚼して自分のものにするかが重要で、そのためには自分と向き合い考える時間が必要だと思います。

ここまでの話を整理すると、暇で退屈な時間が増えたからこそ「楽しむための教養を身につけるために学ぶ」ことが1つと「孤独な時間を考えることに充てる」こと、この2つにトライしてみたら無駄な時間にはならず血となり肉となるのではないでしょうか。

楽しく継続するためにゲーム化する

「そういわれても、主体的に行動できません!」「学びの継続が苦手です!」という人は多いと思います。そんな方にはゲーミフィケーションがおすすめです。続けるのがつらいことにゲーム性をもたせることで楽しみながら継続していくのです。毎日の筋トレをタイムトライアル形式にしてみたり、勉強がここまで終わったらご褒美がもらえるようにしてみたり、家族との競争ごとにしてみたり、そうすることで弱いコアーシブが生まれるので継続しやすくなります。ぜひ試してみてください。

樋口 最後のほう抽象度が高い話になりましたが今日はとても充実したディスカッションになりました笑 この状況をどう乗り越えていくかというHow to論からWhyを追求する話までできてよかったです。ご視聴いただいた皆さん、ありがとうございました。


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この記事を書いた人

Masato ito

国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員/講師。長野県出身。博士(社会学)。一橋大学大学院社会学研究科、日本学術振興会特別研究員を経て2024年より現職。専門は地域社会学・地域政策学。研究分野は、地方移住・移住定住政策研究、地方農山村のまちづくり研究、観光交流や関係人口など人の移動と地域に関する研究。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員。武蔵野大学アントレプレナーシップ研究所客員研究員。日本テレビDaydayやAbema Prime News、毎日新聞をはじめ、メディアにも多数出演・掲載。