よそ者とは誰か?社会学・民俗学の視点からよそ者/よそ者論を解説

移住大辞典

昨今、地方地域社会における「よそ者」としての移住者や関係人口、若者に注目が集まっている。よそ者に対しては、地域活性化や地域づくりの担い手として期待する声も上がっている。

地域社会におけるよそ者とは「他の地域からある別の地域へと境界を超えて移り住んだ存在」である、古くから社会学や民俗学において研究が蓄積されてきた。主な「よそ者」についての研究としては社会学ではG. ジンメルやA. シュッツによるものが、民俗学においては小林和彦や赤坂憲雄によるものが挙げられる。

そこで本記事では両分野の主要な「よそ者論」を通して、よそ者の影響力や独自性をみていく。

ジンメルのよそ者論

社会学分野で「よそ者」の存在を初めて研究対象としたのはG. ジンメルである。

ジンメルはよそ者とは「今日訪れ来て明日去り行く放浪者」ではなく「今日訪れて明日もとどまる者」であり「旅は続けないにしても来訪と退去という離別を完全には克服していない者」「潜在的な放浪者」と定義し、四つの特徴を挙げている [Simmel, 1994]。

第一によそ者は社会集団において一定の距離や疎遠さを保ちながら関わる、独特の社会的位置を占めるものであるということ。

第二によそ者は「客観性」を持ち合わせており、「根底から集団の特異な構成部分や集団の一面的な傾向へととらわれてはいないから、それらのすべてに『客観的』という特別な立場で立ち向かう存在」であること [Simmel, 1994]。客観的であるため、集団内の利害関係やしがらみからは自由でいられる。

第三によそ者は「実践的にも理論的にも自由な人間であり、彼は状況をより偏見なく見渡し、それをより普遍的、より客観的な理想で判定し、したがって行為において習慣や忠誠や先例によって拘束されない」 [Simmel, 1994]。

この点はその地に留まる期間や社会における役割によって、必ずしも拘束されないとは言い切れない。またよそ者自身もホスト社会の成員とは異なるバックグランドをもち異なる習慣や先例をかかえているため、ホスト社会以外の社会の何らかの習慣や先例にはとらわれていることは留意する必要がある。

最後にジンメルはよそ者には「抽象的な本質」が見いだされるという。「抽象的な本質」とは「個々の人々の間には『個人的な差異』が存在しながらも、それと同時に『対外的には特殊的であり比類のないものである』ような、集団内の諸要素の『一定の共通性』をも人々が共有している状態」と説明される [徳田剛, 2020] [Simmel, 1994]。

シュッツの「よそ者論」

シュッツはアメリカの社会学者で一九四四年によそ者に関する論稿を発表した。シュッツが取り上げるよそ者は、移住先の社会で完全なメンバーシップを得ようとする存在である。

シュッツの意図は、よそ者が新たな社会に接触したとき、見聞する諸事象をどのように認知し解釈するかの問題、そして新しい社会での集団生活で自身をどのように位置づけ、適切な行為に向けた指針を得るかを明らかにする点にある [徳田剛, 2020]。

シュッツのよそ者の定義は「われわれの生きている時代と文明を構成している成人した個人が、自分の接近する集団に永続的に受容されようとするか、あるいはまた少なくともその集団に容認されようと試みる者」である [Schutz, 1991]。

定義は広く、閉鎖的なクラブに加入しようとする者、結婚相手の家族に認めてもらいたいと欲している未来の花嫁、大学に入学する農家の息子、田舎の環境で暮らそうとする都市居住者などは全て「よそ者」といえる [Schutz, 1991]。

シュッツはよそ者が新しい社会でどのように馴染むかを論じる際、日常生活における行為者の「あたりまえ」の生活意識—人々が日常生活を送る中で依拠している諸知識の体系—を「集団生活の文化の型」と表現し、行為者の知識体系には三つの特徴があるとした。

第一に整合性を欠いていること、第二に部分的にしか明晰でないこと、第三に一貫性を欠き矛盾を含んだものであることである [Schutz, 1991]。

それぞれの集団が備える「集団生活の文化の型」は外部者にとっては不可解で未知なものだが、集団で長く生活することで「集団生活の文化の型」を「当たり前」なものとして内集団のメンバーは感じられるようになる。

ホスト社会の「集団生活の文化の型」は科学的で論理的なものではなく曖昧であり、よそ者が容易にアクセスできるものではないことから、よそ者はあたらしい社会を訪れたときとまどいや衝撃を感じることとなる [徳田剛, 2020]。

またよそ者はホスト社会での生活をはじめてから、未知なものを一つずつ既知に変え新しい集団生活で自分なりの知識体系を組み上げることで、さまざまな事象に当たり前のごとく対処できるようになり心的にも適応していく。

シュッツはそのようなよそ者の態度の特徴として「客観性」「疑わしき忠誠心」の二つを挙げている [Schutz, 1991]。

「客観性」とは集団にとっては当たり前でもよそ者にとっては不可解にみえるようなものを指す。また「疑わしき忠誠心」とは、よそ者が不可解にみえるものを探求していく過程でホスト社会からみると、よそ者が自分たちの当たり前の見方や知識体系を拒絶、もしくは疑っているようにみえることをさす。

シュッツは以上の探求の過程がうまくいった場合に「集団生活の文化の型」はよそ者にとって当たり前のものとなり、疑問の余地もなくなり「よそ者はもはやなくなり、よそ者に特有のいろいろな問題は解決されてしまっている」と結論付ける [Schutz, 1991]。

シュッツは基本的には成功するよそ者を描く。上記の結論からも読み取れるようにシュッツにとって成功するよそ者は、よそ者がよそ者ではなくなる、もしくは問題が解決され意識しなくなる状態である。

しかしこれは単純にこの道筋を辿れば成功するといえるものではない。また移住時の問題と定住段階での問題は地続きであるため区切ることも難しい。シュッツの結論は些かオプティミスティックだが、現代の「よそ者」「移住者」を検討していく上では参考になる部分が多々ある。

民俗学とよそ者論

二十世紀最後の四半世紀、民俗学や文化人類学を中心に「異人」が時代を映すキーワードとなった時代があった。山によれば異人論は山口昌男の「中心と周縁」論の問題圏のなかから浮上し、同時代の多くの分野の研究者の関心を集めた [山泰幸, 2015]。そのような異人ブームともいえる状況下、民俗学における「よそ者論(異人論)」を牽引したのが小松和彦赤坂憲雄である。

赤坂憲雄のよそ者論(異人論)

赤坂のよそ者研究は、一九八〇年から一九八一年にかけて同人誌『座標』に三回にわたって連載された「異人、あるいは<内なる他者>の構造」と題する論稿で世に出る。『座標』はその後廃刊となるが、その内容は一九八五年にほぼ全編書下ろしで『異人論序説』として発刊され大きな注目を集めた。

赤坂の議論の特徴は民俗学に限らず、他分野のよそ者や排除の概念を用いて、現代社会の現象も考察したことにある [敷田麻美, 2009]。

赤坂はよそ者とは「現在はある場所に留まっているが、漂泊の自由を放棄していない存在」と定義する。その上でよそ者を、漂泊民、来訪者、移住者、マージナルマン、帰郷者、バルバロスの6つに分類した [赤坂憲雄, 1992]。

なお小松のよそ者論と同様に、赤坂はジンメルとシュッツがともに「よそ者」から除外したバルバロスを異人の一類型と考えている。 

赤坂は、よそ者とは内部と外部の境界に存在する、空間的には漂泊と定住の中間を生きる「両義的な存在」だと述べている。両義性はよそ者が「関係概念」であるために生まれるもので、よそ者はよそ者のみで存在することはできず、ホスト社会もしくは内部との関係の中でよそ者になる。スタティックな静止した関係ではなく、運動する関係であるため、不変のよそ者は存在しない。

敷田によれば、よそ者はよそ者として認識されたときには既に地域とかかわりを持つ、ある意味で地域内のアクターとなっている点に注意しなければならない。逆に、よそ者と認識されない、地域にとって何の利害もない存在は、そもそもよそ者として認識する必要もない存在である。

これについて赤坂は、地域におけるよそ者を大きく三つに分けている。赤坂の分類は、生産活動への関与を基準としており、①地域の宿泊施設に滞在するが通過するだけの行商人・観光客など、②教員・改良普及員など仕事のために一時的に居住する者、③共同体の生産活動に参加する移住者である。

これはよそ者をできるだけ「広義で解釈した分類」である。赤坂の分類を厳密に考えれば、一般に「観光客」をよそ者とは呼ばないが、観光客も滞在が長くなり地域に影響を与えるようになると「よそ者は厄介だ」というように扱われることになる。

つまりよそ者の異質性は地域の内部と外部の差だけではなく、時間や関与度合いによって生ずるのである [敷田麻美, 2009]。

小松和彦のよそ者論(異人論)

小松の代表的作品である「異人殺しのフォークロア」は、一九八四年雑誌『現代思想』に掲載されたものである。小松は、ポジティブな事柄だけで成り立つわけではない民俗社会の在り方を記述することが必要と考え、「異人殺しのフォークロア」では異人関係史の忌まわしい側面にも光を当てている。

その題材として小松が選んだのが「異人殺し」と名付けた伝説である。なお小松による「よそ者(異人)」の定義は「民俗社会の外部に住み、さまざまな機会を通じて定住民と接触する人々」であるとされ、ここでは「異人」は単純な「集団の外にいる人」の意味だけでなく「民俗社会(村落社会)にとっての『他者』」として考えられている [小松和彦, 1995]。

「異人殺し」伝説とは、民俗社会=村落共同体の外から定期的、あるいは不定期に訪れる旅人、山伏、遍路、比丘尼、六部、業者などの「異人」についての多種多様な伝説である。山は「異人殺し」伝説の理念型を次のように整理した [山泰, 2015]。

A1:ある日、旅人(異人)が村を訪れ、ある家に宿泊する。

A2その家の主人は旅人をだまして殺害し、その所持金を奪う。

A3:その家は奪った金品を元にして、富を殖やし、栄える。

B4:しかし、ある時、ある家の子孫に何らかの不幸が起きる。

B5:(シャーマンの託宣によって)不幸の原因が、殺された異人の祟りとされる。

B6:異人の祟りを鎮めるために、異人の怨霊が祀りあげられる。

筆者の出身の長野県池田町の事例が小松の「異人殺しのフォークロア」内で取り上げられているので、ここで紹介する。

経塚—昔、池田町中町の入山という家へ六部が来て、主人が下れというのに床の上まで入ってきたので、遂に横町の西南の地で切り合いをして六部は切られた。その後、入山には不運が続いたのでこの地に経塚を建てて祀ったという。(長野県北安曇郡池田町) [小松, 1995]

シャーマンの託宣はこの話にはないが、Bの部分にあたる「その後、入山には不運が続いたのでこの地に経塚を建てて祀った」は事実である。しかしAの部分は歴史的事実なのかはわからない。しかしAの部分はBの部分で出てくる「入山」「経塚を建てた」という固有名詞や事実として存在するものと連続したものとして語られることによって、この地に住む人々にとっては「歴史的事実」になるのである。

「異人殺し」の伝説は、村落共同体の内部で生じたある異常「村内に急速に金持ちになった家があったり、金持ちの家が急速に没落したり、あるいはまたたくまに金持ちになり、数世代も経つと没落した家があるという事実」を説明するためのものであると小松は言う。それは村落共同体にも貨幣経済の波が押し寄せ、ある家が外部経済と結びつき急に繁栄し、逆に急に没落するという異常が起きた時代にのみ好んで受け入れられたものなのである [小松和彦, 1995]。

最後に-よそ者論は常にアップデートされる注目の分野-

いかがだっただろうか。一口によそ者/よそ者論といってもその議論の幅は広く、論者によってさまざまなよそ者がそうていされていることがわかったかと思う。現代の地域社会においても、これらの視点をもって「よそ者」の影響力や強み、弱み、特徴をみていくことで、共生しよりよい関係性を紡いでいくことができるのではないかと思う。

以下で、本記事の中で引用した参考資料を列挙している。興味関心がある方は、ぜひご覧いただきたい。

参考資料

  • Schutz. A, 1991,「よそ者:社会心理学的一試論」『アルフレッド・シュッツ著作集 第3集 社会理論の研究』マルジュ社, 133-151.
  • Simmel, Georg, 1994,『社会学(下)』白水社.
  • 赤坂憲雄, 1992,『異人論序説』ちくま学芸文庫.
  • 赤坂憲雄, 2019,「【特集】地域と時間をつなぐ-「よそ者」の役割とは」『CEL Vol.123』2-7.
  • 菅野仁, 2003,『ジンメル・つながりの哲学』日本放送出版協会.
  • 小松和彦, 1995,『異人論』ちくま学芸文庫.
  • 小松和彦, 1997,『悪霊論-異界からのメッセージ-』ちくま学芸文庫.
  • 敷田麻美, 2009,「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」『国際広報メディア 観光ジャーナル9』北海道大学, 79-100.
  • 徳田剛, 2020,『よそ者/ストレンジャーの社会学』晃洋書房.
  • 那須壽, 2012,「シュッツ」 編集委員: 大澤真幸, 吉見俊哉, 鷲田清一,『現代社会学辞典』弘文堂, 645.
  • 山泰幸, 小松和彦, 2015,「異人論とは何か-ストレンジャーの時代を生きる-」ミネルヴァ書房.
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この記事を書いた人

Masato ito

長野県出身、日本学術振興会特別研究員、武蔵野大学アントレプレナーシップ研究所客員研究員、一橋大学社会学研究科所属。専門は社会学、政策学。2017年・2021年に創設に関わった2つのまちづくり事業が長野県地域発元気づくり大賞を受賞。後者は同年公民館アワードも受賞。現在は地方移住やまちづくり、地域政策に関する研究を行う傍ら、関連する分野のコンサルティングやアドバイザー、講師講演執筆などを行っている。毎日新聞、AERA、Oggi、Abema Prime Newsなど寄稿出演多数。