デジタルノマドビザは移動機会の格差を拡大する?モビリティーズ研究から紐解く

日本政府は2024年2月2日、国境を超えて移動しながらIT関連の仕事などを行う「デジタルノマド」を対象に、在留資格「特定活動」を与える新制度を発表した。

デジタルノマドとは、IT技術を活用し、場所に縛られず、ノマド(遊牧民)のように旅をしながら仕事をする人たちのこと(勝野,2022)である

A Brother Abroad社の調査によれば、2021年時点の世界のデジタルノマド人口は3,500万人以上とされ、さらに今後3~4年で倍増すると予測されている(田中,2023)。

その経済効果は全世界で7870億USD(約114兆円、1人あたり約326万円※1USD=145円換算)にも及ぶと試算されている。ただし、その規模は正確には把握できていない(田中,2023)。

「デジタルノマドビザ」は、こうした状況を背景に、日本の人材不足を補ったり、優れた人材の獲得につながったり、観光を含む消費活動が活発化したりすることを期待され、新たに設けられるビザである。

しかし、対象となるのはデジタルノマド、すなわち「リモートやオンラインで働けるモビリティの高い人びと」が中心であり、また「年収が1,000万円以上」「日本と租税条約を締結する国・地域の国籍を有する人びと」と限定されている。

こうした対象の限定は、一見すると当たり前のようにも思えるが、社会学的に考察すると、異なる側面が見えてくる。

それは「エリートのモビリティの拡大・移動機会の拡大促進」という面である。

本記事では、社会科学におけるモビリティ研究の視点から、デジタルノマドビザを批判的に考察することによって、マクロな視点からこの制度が現代において何を表しているのか、いかなる課題的側面も有しているか考えてみたい。こうした検討は、本制度がより良い制度へと発展してくためにも重要だと思われる。

デジタルノマドビザとは?

デジタルノマドビザの要件としては、以下の3点が想定されており、これらを満たせば6か月の滞在が可能となる「特定活動」の在留資格が付与される。

  • ビザ(査証)免除の対象で、日本と租税条約を締結する国・地域の国籍を持つ(出入国在留管理庁によると、米国や英国、オーストラリア、韓国、台湾など49か国・地域が該当)
  • 日本滞在期間を含む年収が1,000万円以上
  • 民間医療保険に加入

配偶者や子どもの帯同は認められる。さらに、租税条約を結んでいれば、日本を訪れた短期滞在者の非居住者は免税となる。

現在は、デジタルノマドを想定した在留資格は日本にはなく、出張や会議などが目的の場合は「短期滞在」の在留資格で入国できる。

しかし、滞在期間は原則で最長90日間にとどまり、それを超えて働く場合は就労ビザを取得する必要があるほか、日本に拠点のある企業などから報酬を得る必要がある。こうした課題を克服するために、デジタルノマドビザが設置される運びとなった。

デジタルノマドビザが使える人は「エリート」

デジタルノマドビザの狙いは、「優秀な外国人材を呼び込むこと・観光消費を促すこと」である。

小泉龍司法務相は先週の記者会見で、デジタルノマドは「イノベーションを創出する源になる」と述べており、産業発展を担う人材として期待していることがわかる。

では、イノベーション創出の源になる優秀な人材とは、一体どのような人々を指すのだろうか?その基準の一つとなるのが、要件にも含まれた収入である。

Flatio社が発表した調査レポートによると、デジタルノマドの49.2%が31,000ユーロ(日本円で約487万円)以上の収入があり、回答者の55.1%が1ケ所に1~4ケ月間滞在すると回答している。

また、日本国内の各種統計や調査結果を踏まえると、年収が高いほどテレワークの実施率は高い傾向にあること、年収が高いほどテレワークによって遠方で働けると感じる傾向にあること、平均年収が高い業種と、テレワーク制度が整備された業種は重なる傾向にあることが明らかになっている。

以上と今回の要件を踏まえると、デジタルノマドビザの主たる対象は、「経済的、産業的に優れたスキルや知能を有し、ホワイトカラーのテレワーク・リモートワークが可能な、経済的に階層が高い高所得・高資産所有層」であることがわかる。

すなわち、デジタルノマドビザの対象者・利用想定者は一般人ではなく、金銭的に余裕があり、かつ特定の働き方が可能な、極めて一部の特権的階層の人々なのである。

モビリティと格差

デジタルノマドビザ制度が、「優秀な外国人材を呼び込むこと・観光消費を促すこと」という政策目的を達成するために、モビリティと社会階層という点から見た際にエリートと呼べる人々を誘致することは、より多くの消費を促し、政策目的を達成するためには当然いえる。

しかし、こうした経済的・産業的に優秀とされる「エリート」の移動を促進する、つまりモビリティ機会を拡張する政策は、果たして本当に良いことなのだろうか?特にそれは、公平性や正義という観点から検討した際に、望ましいことなのだろうか?

ここからは、人文社会科学におけるモビリティ研究の視点から、デジタルノマドビザに対する批判的な検討を行ってみたい。

人文社会科学において、主に1990年代、2000年代以降に盛んになってきたモビリティ研究の知見によれば、人びとの移動(モビリティ)は、政治的な問題である。デジタルノマドビザ制度も、一言で言えば「年収が高い人だけが、特別に日本に長期滞在できるようにする」制度である点で、極めて政治的だと言える。

現代社会において、「移動の自由」は恒常的に希少で不平等な流通商品として、階層化要因となっている(Bauman,2000)。

すなわち、新自由主義社会においては、素早い移動と社会階層が関連し、モビリティをめぐる排除や不平等性が高まっているのである(Cresswell 2010, Sheller 2018)。

こうした観点からデジタルノマドビザ制度を眺めると、それは富める者と、富めぬ者の移動をめぐる格差を拡大する制度であることがわかるだろう。

デジタルノマドビザ制度の対象となる人びとは、そもそもこうした制度がなくても、モビリティが高く、移動にお金が使える可能性が高い人びとである。対して、デジタルノマドビザの対象とならない人びとは、制度的な支援がなければ相対的に国境を超えた移動機会は限られている人々だと考えられる。

社会学者のジョン・アーリは、1990年に出した本の中で次のように指摘している。

「特に、仕事以外の理由で旅行ができるということは、限られたエリートにしかできないことであり、それ自体がステイタスである。」

アーリの指摘は急速なデジタル化とグローバル化によってさらに進展し、現在は、仕事を理由に旅行できる・国境を超えた移動ができるということも、限られたエリートにしかできないことであり、それ自体がステイタスなのである。その代表がデジタルノマドビザの対象となるエリートだと言えるだろう。

おわりに-ビザを作れば、デジタルノマドが日本に来るわけではなく、長期滞在するわけでもない-

経済的グローバル化の視点に基づくエリートたちのモビリティが、倫理的、逆説的に疑問視されることはない(Bitchnell and Caletrio,2014)。

デジタルノマドビザの導入と議論の拡大は、まさに経済的グローバル化の結果にほかならない。それは、エリートたちの移動が、様々な恩恵を移動先の地域でもたらすと考えられているからであり、自由に好きに気ままに移動できるのがエリートだと考えられているからである。

優秀な人材としてのデジタルノマドは、日本に様々な恩恵を与えると考えられている。だからこそ、セフは特別なビザを用意して日本に誘致しようとしている。

しかし、モビリティの自由とは、訪れる自由であると同時に、去れる自由でもある。デジタルノマド研究で知られるWoldoff, Litchfild(2021)は、デジタルノマドは「いつでも去れるという自由」を有していると指摘している。

つまり、日本がデジタルノマドにとって、充実した、かつ他国との競争に勝つ優れたワーク&ライフ環境を提供できなければ、デジタルノマドは自由に、素早く他国を選択していくのである。

そうした意味において、デジタルノマドは個人間のモビリティをめぐる競争と格差の象徴であると同時に、制度としては国家間のモバイルなエリートたちの奪い合い競争の象徴とも言える。そしてそれは、現在の日本の状況を鑑みれば、競争に負ける可能性も大いに有するものなのである。デジタルノマドビザをつくれば、自然と日本を選んでくれるということはない。

また、デジタルノマドを研究するWoldoff, Litchfild(2021)などによれば、デジタルノマドは必ずしも階層が高い訳では無いという指摘もある。

しかし、そうした人びとは制度的支援の対象外となっており、デジタルノマドビザの収入要件を踏まえれば、同じデジタルノマドの中でも、社会階層によって移動機会の不均等性が生じ、高まりつつあると言えるだろう。

今後、デジタルノマドビザがどのような人々に、どの程度利用されるのかはわからない。しかし、制度として始まる以上、その動向を見ていく必要があると共に、ポジティブな面だけでなく政策の逆機能や裏面も私たちは見ていく必要がある。そのことは、結果的に、デジタルノマドビザ制度をより良い形に変えていくためのヒントとなる可能性もあるだろう。今後も、その動向に注目である。

参考文献

勝野裕子(2022)「世界を旅するデジタルノマドの誘致可能性を考える」.

田中敦(2023)「デジタルノマドビザ制度導入に向けて、今、準備すべきこと(前編)~デジタルノマドビザの概要とデジタルノマドの特徴から~」.

Flatio launches its first Digital Nomad Report 2023

Bauman, Z.(2000)Liquid Modernity, Cambridge: Polity.(=2001, 森田典正訳『リキッド・モダニティ』大月書店)

Cresswell, T.(2010)Towards a politics of mobility,Environment and Planning D: Society and Space, 28: 17-31.

Sheller, M.(2018)Mobility Justice: The Politics of Movement in an Age of Extremes, VERSO.

Rachael A. Woldoff, Robert C. Litchfield(2021)Digital Nomads: In Search of Freedom, Community, and Meaningful Work in the New Economy, Oxford Univ Pr.

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この記事を書いた人

Masato ito

国際大学GLOCOM研究員/講師。1996年、長野県出身。博士(社会学)。一橋大学大学院社会学研究科、日本学術振興会特別研究員を経て2024年より現職。専門は地域社会学・地域政策学。研究分野は、地方移住・移住定住政策研究、地方農山村のまちづくり研究、観光交流や関係人口など人の移動と地域に関する研究。多数の地域連携/地域活性化事業の立ち上げに携わり、2事業が長野県地域発元気づくり大賞を受賞。日本テレビDaydayやAbema Prime News、毎日新聞をはじめ、メディアにも多数出演・掲載。