有名人の自殺が報道される際、日本では多くのメディアが自殺した人の「個人的な理由」に原因があるのではないかと探ろうとします。2020年9月に竹内結子さんが亡くなられた際も、そういった報道が多くみられその結果、自殺した人の周辺の人に過剰に取材したりプライバシーなど関係なく情報を詮索したりするようなことが起こります。
しかし果たして、人が自殺する理由は完全に「個人的な事情」のみでしょうか。エミール・デュルケームという社会学者は自殺は個人の行為にほかならないが、ある一定期間に自殺者が増えたり、国ごとに自殺者数の傾向が異なったりすることに注目し、社会が自殺のような一見、個人的な行為に影響するのでは?と考えました。
そこでデュルケームは『自殺論』という本の中で、自殺について3つの類型/説明を行いました。
- 集団本位的自殺
- 自己本位的自殺
- アノミー的自殺
この研究はいまから100年以上前のものですが、今日私たちが暮らす世界でも当てはまる部分があります。そこで本記事では、デュルケームの自殺の3類型をみていきます。デュルケームの考察は今日では間違っていると指摘される部分もありますが、その考え方や類型は自殺について考える際、知っていて損はありません。
この記事では触れませんが前提として、メディアが過剰な自殺報道を行うことは「ウェルテル効果」と呼ばれる後追い自殺が増える現象に結びつきかねません。WHO自殺予防メディア関係者のための手引きなどに基づいて適切な報道をすることが求められます。ウェルテル効果についてより詳細に知りたい方はこちらの記事をご覧ください。
エミール・デュルケームとは?主著『自殺論』とは
デュルケームは1858~1917年に生きたフランスの社会学者です。社会学の方法の確立につとめ、社会学の基礎をつくった4人の1人として名前が挙がることもある有名な社会学者です。
1897年に発表された主著『自殺論』では、各社会の示す固有の自殺率を社会経済的、道徳的環境の変化によって説明することにつとめた本です。各国の自殺統計を大規模に用いた研究方法はデュルケームの社会学的アプローチの代表的なものです。
一方で、自殺の個人的、心理的な要因や自殺の動機付けの過程をほぼ全面的に考察の外に置いたことは、のちの研究者から批判を招いています。よってここで紹介する3つの類型は自殺を社会を結び付けて考察したことで高く評価されている一方、その手法は偏ったものであり批判も多いということを頭の隅に置いておいてください。
集団本位的自殺
1つ目のタイプは「集団本位的自殺」と呼ばれるものです。これは高齢者や病気になった人が、家族や周りの人に迷惑がかからないように自殺するような「自殺をする義務」「自殺をする圧力」が集団から課せられているケースを指します。
この自殺は、集団のまとまり意識が強く、個人がそこに埋没しているときにみられるとデュルケームはいいます。「集団のため」という意識が強く「自分のため」という意識(個人の意識)が極端に弱まっている状態です。
ひと言で集団本位的自殺を説明するならば、「社会の規範」が「個人の生命」よりも重いことで自殺につながるケースを指します。
自己本位的自殺
2つ目は「自己本位的自殺」です。これは集団本位的自殺の逆の社会状況で起きやすいパターンです。デュルケームは近代の自殺は集団本位的自殺とは逆で、「社会や集団のまとまりが極端に弱いと自殺が増える」と考えこれを自己本位的自殺と名付けました。
例えば仲間や家族がいることは、自分の意志のままに死を選ぶ妨げになるでしょう。逆に周囲の人とのつながりが薄く、自分で自分の生死を決定できるとき、自殺は増加するかもしれません。またデュルケームは「人びとが社会から切り離されていると感じれば感じるほどそれだけ、その社会を根拠にも目的にもしている生から切り離されていくことになる」といいます。
コロナのような感染拡大防止のために人と会うことが経たれる場合、自己本位的自殺につながりやすくなると考えることもできます。仕事仲間と会うことがなくなり、近隣住民と会うこともなくなり、友達とも会うことが無くなっているような状況下では「私は社会から切り離されている」「なんのために生きているかわからない。誰かのためになるわけでもなく、生きること自体が目的だとしたら…」と思いやすくなるからです。
アノミー的自殺
集団本位的自殺と自己本位的自殺は、なんとなくわかりやすく納得感があります。それに対して3つ目の「アノミー的自殺」はちょっと複雑です。
デュルケームは、経済が急激に好況になったり急激に不況になったりして社会集団の均衡が破壊され重大な再編成が起こるとき、「無規制はアノミー状態」が現れると述べます。アノミーとは「無秩序・無規制の状態」「欲求が規制されずに際限のない状態」などを指します。欲求が無規制になったとき、人は何が可能で何が不可能なのかがわからなくなり、錯乱してしまい自殺に繋がるのです。
例として1870年にエマヌエルがローマを征服しイタリア統一の基礎を築き、1870年代にイタリアは経済的な発展を遂げました。しかし自殺率は30%以上も上昇したのです。また経済成長の影響を強く受ける商工業では農業よりも自殺率が高くなっています。
コロナ禍ではまさにこのようなアノミー的自殺が増加するのではないかと懸念されています。経済状況が急激に悪化したことで、これまでの社会の常識や規制が曖昧になり人々は「良くも悪くもすべて自己判断」しなければならない状況にあります。
こうなると「一体、普通とは何なのか」「自分はいま何をすべきなのか」など生活するうえで大切な感覚がわからなくなり、感情的に落ち込み希望も持てなくなり自殺に繋がってしまうのです。
実際、5月にアメリカの財団ウェルビーイング・トラストと米家庭医学会(AAFP)は新型コロナ危機の結果、向こう10年で最大7万5000人がいわゆる「絶望死」によって命を落とす可能性があると指摘しています。この論文は査読を受けたものではありませんが、同様の指摘は世界中で相次いでいます。
最後に-最も「個人的」にみえる自殺も、社会の影響を受けている-
本記事ではデュルケームの自殺類型をもとに社会状況が個人に与える影響についてみてきました。ここまでみてきた方であれば、自殺の理由を短絡的に「個人的事情」に求めるようなメディアの報道やコメンテーターの姿勢は間違っていることがわかると思います。
最も個人的なことに見える「自殺」であっても、人は社会状況の影響を大なり小なり受けています。自殺に限らず、個人的な行為にみえることでもその最後には社会的な影響もあるのではないか、という考え方を常に忘れずにいることが世の中で起こっていることを考える際には大切です。
参考資料
・Boomberg, 「新型コロナ危機、次に訪れるのは自殺増加の恐れ-米専門家が指摘」
・『縮刷版 社会学辞典』弘文堂.
・奥村隆, 『社会学の歴史』有斐閣アルマ.