映画『翔んで埼玉』の社会学的考察-親世代と子ども世代の比較を通したナショナリズムとコスモポリタニズム-

2019年2月に公開されるとすぐに「自虐的におちょくるおもしろさ」「誰も傷つけない地域通しの争い模様」「個性的な出演陣」と話題を呼んだ映画『翔んで埼玉』。イタリア開催の第21回ウディネ・ファーイースト映画祭で上映されマイ・ムービーズ賞を受賞、第23回ファンタジア国際映画祭・アジアン最優秀長編作品賞・金賞受賞を獲得するなど、世界的にも高い評価を受けた。

映画版『翔んで埼玉』の物語は、東京都に虐げられ続けた埼玉県や千葉県が東京都への自由な行き来を可能とするために通行手形撤廃を要求して立ち上がる伝説パートと、現代の埼玉在住のある一家が伝説と化した悲劇を聞いたことがキッカケとなり、郷土への愛を深めるという映画オリジナル展開の現代パートの交錯で構成されている。

この記事では、『翔んで埼玉』の物語を一貫する地域への愛情と他の地域への差別心について、親世代(第一世代)と子ども世代(第二世代)の思想を社会学的に比較考察していく。キーワードは「愛国主義(ナショナリズム)」「愛郷心(パトリオティズム)」と「世界市民主義(コスモポリタニズム)」である。

『翔んで埼玉』における差別とその対象

映画の中で東京都民は埼玉県民に対して嫌悪感と差別意識を抱いている。それは法的に認められた差別であり、東京都民は埼玉県民を差別することに疑問意識を一切抱いていない(東京都の中にも居住地によってランクがある)。

物語の途中、埼玉県出身のエリート麻美麗(GACKT)と東京都知事の息子壇之浦百美(二階堂ふみ)は千葉県で何者かに捕らえられてしまう。捕らえたのは東京都知事の執事で実は千葉県出身の阿久津翔(伊勢谷友介)であった。このときに明らかになるのは「埼玉県だけでなく千葉県も東京都に行くためには通行手形が必要である=東京都民から差別の対象認定されている」ということである。

物語の伝説パートで登場する人々は大きく2つの世代に分けることができる。東京都知事壇ノ浦建造、伝説の埼玉県人で過去にクーデターを画策した埼玉デューク、埼玉デュークによるクーデターを阻止したことで株を上げ東京都知事の執事となったエンペラー千葉の年長世代が1つ目の世代。映画の主人公で東京都知事の息子壇ノ浦百美、映画のもう1人の主人公で埼玉県人の麻美麗が2つ目の世代である。ちなみにこの中間世代(1,5世代)として現東京都知事壇ノ浦建造の執事で千葉出身の阿久津翔がいる。

ナショナリズムが駆動力となる第一世代

第一世代の3人は、政治ジャーナリスト ジョージ・オーウェルの定義に従えばナショナリストといえるだろう。オーウェルによればナショナリズムは「力への欲求から離れず、共通の目的としてさらなる力、さらなる名誉を自分自身や仲間内に対してだけでなく自身の人格とすっかり同一された集合体に確保させること」であるという。つまりナショナリズムは人々を一致させる性質を持ち、共通の敵認定をすることに特徴がある。

現東京都知事の壇ノ浦建造を含む東京都民は、他の地域民、特に埼玉県民を差別対象とすることで自らの地位を高く置きアイデンティティを維持している。

埼玉県出身の埼玉デュークは東京都に対してクーデターを起こしたり、今日まで千葉県民と武力で争ってきた。象徴的なのは、物語に最後に千葉県と友好的な関係に落ち着いたかと思いきや「日本埼玉化計画」と書かれた分厚い計画書を百美に渡している点である。埼玉デュークは明らかに埼玉に同一された集合体を世界規模で拡大しようとしている。

エンペラー千葉も子孫まで埼玉県民を敵認定し、自分たちの利益のためだけに動き続けている(ただエンペラー千葉とその子孫の戦略は東京都を千葉化するものではなく、千葉を東京化する者なので先進国としての東京都に対する圧倒的なコンプレックスと、埼玉に対抗するための戦略的友好関係を東京都と結ぼうとしている。しかしその目的は千葉第一主義であることに変わりはない)。

第一世代の3人は全員「敵をつくり自身の国に周囲を同一化させようとする性質」を兼ね備えており、ナショナリストであるといえるだろう。第一世代はパトリオティズムではないか?という意見も考えられるが、パトリオティズムは「特定の場所や特定の生き方への思い入れであり、ある人はそれが世界で一番優れていると信じているだろうが、その考えを他者に押し付けようとはしない」というオーウェルの定義には当てはまらない。第一世代の三人はナショナリストであるといえるだろう。

コスモポリタニズムで前進する第二世代

第一世代がナショナリストであったのに対し、第2世代の主人公2人は異なる考え方をする。それはコスモポリタニズムである。主人公の麻美麗は埼玉県出身でアメリカ留学を経て東京都内にある名門私立高校白鵬堂学院に入学する。そこで彼は虐げられ差別されたZ組の埼玉県民に大半の生徒が嫌がる中、手を差し伸べ現状を確認しショックを受ける。埼玉県に壇ノ浦百美とともに向かい無事に埼玉デュークらに助けてもらった後のシーンでは、壇ノ浦百美に「なぜ埼玉のためにそこまでするのか?」といった趣旨の質問に対して「夜空はいくつもの星があるから美しい星空になる。どの星も美しく個性的だ」といった発言をしている。

これらのシーンから分かることは、麻美麗は自身が埼玉県人であること、アメリカに留学したこと、東京都内の名門私立高校に通っていることなろの経験から「どの都道府県が一番であるとか、どの人種がすごいとかではなく、みんな個性的でそれぞれ良さがある」という思考にいたっている。これは第一世代とは異なる点である。千葉県と埼玉県の戦いの際にも闘うのではなく、共通敵として東京都を定め友好条約を結びつつ既存の差別を撤廃しようとする点で「埼玉県のため」に動いているというより、「全世界の差別や虐げられた存在の地位を向上する」ことを目指していることがわかる。

麻美麗のこのような考え方は「個人を国家・民族を超越した直接普遍的世界の一員として位置付ける世界観/世界=地球をひとつの共同体とみなし、その成員をすべて同胞とする考え方」であるコスモポリタニズムに立脚しているといえるだろう。

壇ノ浦百美は当初は東京都民絶対主義の過激なナショナリストであった。しかし麻美麗との出会いと、その後の体験を通してこの世界の多様さ、そして個々の地域が持つ個性に気づかされる。父で東京都知事の壇ノ浦建造と最後に話すシーンでは「麻美麗との出会いとその後の旅を通していかに各地域が個性的な魅力を持っているか知った。東京都という小さな世界で生きていたこれまでは気付かなかったけど外に出て初めて気がついた」といった趣旨の発言をしている。

これはナショナリストの壇ノ浦百美が小さな世界から大きな世界へと一歩踏み出し自分の眼でナショナルな東京都外を見たことで、コスモポリタニズムな思想を獲得していく過程であったといえるだろう。東京都の良さは良さとして認めつつ、それはイコールで他の地域を虐げ差別することではないという事実(ナショナリズムへの決別とパトリオティズムの自覚、コスモポリタニズムの獲得)を知ることができたのである。

ちなみに阿久津翔は物語の最後、逮捕されたのちにどのような思想を持ち今後どのような展開を考えてたのか分からないためここでは明言できない。しかし確実に言えるのは、千葉県絶対主義で千葉県のためであれば東京の名を冠すこともいとわない物語序盤~中盤の姿勢はナショナリストであった。しかし最後のほうのシーンでは千葉県絶対の感覚を埼玉県民である麻美麗に押し付けることなく協力し「今後も良きライバルいよう」と埼玉県を認める発言をしている。よってこの物語が阿久津にとって、ナショナリズムからパトリオティズムの獲得の過程だったと推測することはできる。

『翔んで埼玉』に気づかされる行動することの大切さ

『翔んで埼玉』は絶妙なバランスで批判されないコメディーなコンテンツになっている。しかしそこで描かれるのは地域間差別、人種差別、行き過ぎたナショナリズムと若者世代のコスモポリタニズムである。この映画が笑ってみられる時代を生きている事実は忘れてはならない重要な点だ。現在でも日本では被差別部落の問題は続いているし、海外に目を向ければ民族差別などは残っているところもある。不快な思いをする人も一部いるかもしれないが、多くの日本国民がこの映画を笑って観られるのは、過去に存在した各種の差別を乗り越えてきた歴史があるからにほかならない。

作品中で麻美麗も言っていたように、現状の差別的な関係性を変えるためには「革命」しか彼らにはなかった。それは十数万人を2県で動員して東京都庁を襲撃しようとするという前代未聞の革命だった。しかし作品中の埼玉県と千葉県が筆頭の虐げられた地域の尊厳は、命がけの革命が無ければその先も得られなかったものだろう。

いま私たちが当たり前だと思っているこの社会も、同じように先人たちが怒りをパワーに変えた行動によって変革したことで成り立つ社会である。ではいまこの社会が抱える差別や偏見を取り除くためには私たちは何をしなければならないか、それは明白だろう。自ら既存の権力構造に組み込まれ現状に甘んじるのか、社会に存在する見えない通行手形を撤廃するためにはどうするべきなのか、1人1人が考えなければならない問題が目の前には転がっている。

最後に-『翔んで埼玉』には他にも多様な切り口がある-

本記事では全編通してナショナリズムを体現する第一世代と、コスモポリタニズムを志向する第二世代の比較を通して映画『翔んで埼玉』を社会学的に考察してきた。地域研究、文化研究、人類学研究などさまざまな面から深堀できるおもしろい作品なので、ぜひ皆さんも「このシーンはどう解釈できるだろう?」という視点でこの映画を観てみてほしい。また本作品の原作はマンガである。マンガは映画と登場人物が異なるので、こちらもぜひチェックしてみてください。

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この記事を書いた人

KAYAKURA 編集部

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