高齢化率が高く若い人がいない地域がニュースで取り上げられる際に「限界集落」という言葉をよく聞きます。字面からなんとなく意味は想像できますが、正確な定義や歴史を聞かれるとわからないですよね。そこでこの記事では、
- 限界集落の定義
- 限界集落の成り立ち、言葉の歴史
- 限界集落論への評価と批判
- 限界集落の数と実態
などについて、地域社会学について大学院で研究を行う筆者が専門的知見からわかりやすく解説していきます。押さえておくべきポイントは「限界集落には2つの要素がある」「限界集落論は私たちに多くの課題を教えてくれたと同時に、論自体は長年批判されている側面がある」ということです。
限界集落とは?定義と意味
限界集落は大野晃という日本の社会学者が1990年代に提唱し、2000年代に入り一般的に広く使われるようになった言葉です。限界集落の定義は主に以下の2つの要素から成り立ちます。
- 65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超えている
- 冠婚葬祭をはじめ田役、道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落
大野は全国各地でのフィールドワークを行う中で、従来使われていた「過疎」という言葉では実態を反映できない事例を数多くみました。そこで大野は「過疎」よりも深刻な状態を指摘し見える化するために厳しい批判を受けることを覚悟したうえで「限界集落」という言葉を世に送り出しました。
大野が提唱した限界集落の定義のうち、広く世の中で知られているのは1の「高齢者が集落人口の半数を超えている」というものです。しかし重要なのは1と2両方の状態に陥ったときはじめて限界集落となり、1だけの状態では限界集落とは必ずしもいわないという点です。
限界集落の数と消滅した集落の数について
国土交通省は2006年度過疎法に指定されている全国の775市町村の全6万2,273集落!を対象に、集落の将来予測調査を実施しました。調査結果によると、対象となった全集落のうち高齢者が半数以上を占める限界集落が7,878(12.7%)にのぼり、1999年度の前回調査以降、191集落が消滅していました。
また「10年以内に消滅する」可能性のある集落は423、「いずれ消滅」の可能性のある集落は2,220あることがわかりました。この調査結果から読み解け大野は限界集落よりも厳しい状態の集落を超限界集落、さらに厳しい状態の集落を消滅集落と名付けており、1999年度の調査から2006年の調査の間に191の消滅集落が生まれたことが調査結果からわかります。
ここで考えたいのは「191」という消滅集落数が多いのか少ないのかという点です。日本は現在、人口減少社会に突入しており2008年頃をピークに人口は減少しています。大都市集中型の社会構造でかつ人口が減少する中で従来の集落を維持することは難しいため、集落の消滅はある意味で仕方のないことだといえます。
過疎法に指定されている775市町村全62,273集落のうち、7年間で191が消滅した事実は「消滅した集落がある」という部分だけを切り取るとセンセーショナルですが、割合でいうと0.003%ととても低いことがわかります。
2014年の増田レポートでも消滅可能性都市が話題に上がりましたが、レポートの発表以降、実際に消滅した都市はどれほどあるでしょうか。限界集落も同様です。質的に1つの事例を深堀するとその地で刻まれた歴史が途絶えたことを意味しますが、マクロに量的にみると僅か0,003%に収まっているともいえます。このことから、限界集落や消滅集落という言葉は用いる際はある程度の責任をもって発する必要がある扱いの難しい言葉であることがわかります。
限界集落の全国的拡大に伴う課題
限界集落の定義や数についてみてきましたが、ここからは限界集落化が進むことの課題をみていきます。
第1の課題は、限界集落の増加による耕作放棄地の増大、山林の放置林化による森林の荒廃・自然環境の悪化です。戦後に整備された多くの人工林は人が手を入れずに交配すると渇水や水害を発生させる可能性が高くなり、下流域の住民や漁業にも深刻な被害を与えてしまいます。
第2の課題は大野の言葉を用いれば「山村の原風景の喪失」です。春夏秋冬をおもわせる景色は、人が手を入れ里山であるからこそ守られてきたものでした。これらの景色は日本文化の基層をなす日本人の特徴としての叙情性豊かな感情を養ってきたといわれています。原風景の喪失は大野によれば日本人の官製の喪失と深く結びついており、これは現代の社会病理の表出と無関係ではありません。同時に神楽に代表される伝統芸能、伝統文化の衰退も無視できない限界集落化による問題です。
第3の課題として限界集落化した地域の維持存続の問題があります。「人がいなくなったらそのまま自然に戻ればいいじゃん」という意見もありますが、1度人間が手を入れた土地は人間が持ち込んだ自然に分解されないものが堆積したり、動物が住み着いたり、犯罪の温床や不法投棄の場所となったりする可能性があります。
一方でその地を自然の状態の戻すためには整備費が必要ですが、これは個人が払うのかそれとも行政が払うのかといった問題も出てきます。「誰が集落に対する責任を取るのか」「人がいなくなった地域はどう取り扱えばいいのか」は今後の日本の大きな課題となるでしょう。
限界集落論への批判
限界集落論へは提唱された当初からさまざまな批判があります。多くの農村社会学者や地域に携わるアクターからは「住民の気持ちを考えて呼び方を変えるべきである」という批判があります。しかし大野はあえて厳しい言葉を用いているためこの点は当初から折込積みであったといえます。ただ想定以上に用語が一般化し広く国民も用いるようになったため、対象となる地域の住民でよく思わない人がいるのは確かでしょう。
総務省、国土交通省、農林水産省など国政の公式文書では、限界集落という言葉は用いられない傾向が一部で出てきており「基礎的条件の厳しい集落」「維持が困難な集落」といった表現が採用されています。また岡山県や山口県など、自治体でも使用を控える動きや言い換えを行う動きがあります。
地方移住論や田園回帰論の第一人者である明治大学の小田切徳美氏は「限界集落の語の普及とともに、自治体職員が安易に高齢化率など表面的な事象だけで集落問題を捉え、集落の現場を見ようとしない」と述べており、似たような批判は他の学者からもあがっています。
限界集落を知るためにおすすめの本
限界集落について0から知りたい人のための本~学部の論文執筆などで使える難しめの本までここでは5冊の本をピックアップしました。列挙していますが上から下にいくにつれて専門的な内容になっていきます。ぜひ購入して読んで限界集落への理解を深めてみてください。
以下2冊が「限界集落」提唱者 大野晃氏の著書です。
まとめ-限界集落は現実の課題を厳しくつきつける言葉-
限界集落という言葉には「厳しすぎる」という批判があります。厳しい言葉は感情を揺さぶり人々の心や実際の行動にはたきかけます。限界集落論は目の前にある課題からどうしても目をそむけたくなる私たちに対し、眼をそむけずに向き合うことを厳しく求めます。しかし目をそむけずに向かい合えば住民にとってベストな解が導き出せると信じることは大切です。限界集落という言葉を使う際は、ぜひここの記事で書いたようなことをまわりの人にも説明しつつ、意図をもって使っていくことが大切になってきます。
筆者は限界集落提唱者の大野晃氏が長年勤めた長野大学に5年間籍を置き、学びに勤しんできました。さまざまな集落にフィールドワークで行くたびに厳しい現実を目の当たりにするとともに、なかには独自の取り組みや将来を見据えた長期的な取り組みで明るい未来を築こうとしている人たちにも出会いました。これから限界集落という言葉がどのように用いられていくのか注目です。
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