2009年度から総務省主導で始まった地域おこし協力隊制度。その数は年々増加しており、2018年度には全国1,061の自治体で5,530人の隊員が活躍しています。今日、紹介するイベントは長野県北アルプス地域で地域おこし協力隊4名が地域との関わり方について形式で話したイベントのレポートです。
イベント紹介
2018年2月24日に長野県池田町のカフェ風のいろで行われたイベント「地域おこし協力隊&協力隊卒業者4人から学ぶ! ー地域の今とこれから、つながりの可能性ー」。長野県池田町と周辺市町村でフリーペーパー『いけだいろ』を発行する信州池田活性化プロジェクト「Maple Tree」主催したイベントです。
当日は県内各地からおよそ40名の方が参加しました。現役の地域おこし協力隊と地域おこし協力隊卒業者4名が自身の体験をもとに移住者と地元住民のよりよい関係の築き方、新しいコミュニティの在り方などについて話しました。
登壇者プロフィール
イベント内のトークセッションファシリテーター。本イベントを主催する信州池田活性化プロジェクト「Maple Tree」代表(2015~)。
平成元年生まれ。京都府八幡市出身、実家はパン屋だが惜しまれつつも2018年3月26日に閉店。2018年4月に両親も長野に移住。2016年3月から初の一人暮らしを安曇野で開始、地域おこし協力隊では主に移住・定住に携わっている。
神奈川県相模原市出身。松川村地域おこし協力隊の1期生で、移住3年目。移住の決め手は、「移住するなら田舎がいい」という奥さんの意見。移住前は写真でしか松川村を確認しておらず、協力隊の採用面接の際に初めて村を訪れた。勤めていた会社を辞めて奥さんと3人の子供と共に松川村に移住、今年5月には5児の父親となる。
東京生まれ、埼玉育ち。夫と2人で移住。大町市地域おこし協力隊のメンバーで、3年目を迎える。移住前は東京で10年、横浜で2年暮らし東京では、旅行雑誌の営業と編集に携わっていた。地域おこし協力隊では、『おおまちイイトコ探し隊』として大町市に関する情報発信、PRを行っている。『大町イイトコリスト』や写真集「おおまち日和」、『信濃大町イイトコMAP』が閲覧できるウェブサイトの運営など行ってきた。
1986年茨城県水戸市生まれ。31歳。高校卒業後、飲食業でしばらく働く。20歳の時にピースボート(NGOが運営している世界一周の船旅)に乗るため上京、世界各国を自身の目で見て回る。平成26年8月、池田町初の地域おこし協力隊として移住。生涯学習課生涯学習係としてスポーツ推進担当の業務を3年間こなし、昨年夏に任期を終える。現在は、町の臨時職員としてスポーツ推進事業や若者交流事業に携わっている。
消防団に入る入らない問題
伊藤:4人+僕の5人で対談形式で進めていきます。まず初めに「協力隊、消防団に入る入らない問題。」について話していきます。市町村や人によって考え方が相当分かれる気がします。あとは「早起き野球出る出ない問題」とか。
高尾:私は消防団に入っています。入ったキッカケは行政の方に勧められたことですね。消防団の実態を知らないうちに気が付いたら入っていました。何も分からないままとりあえず集まりに参加してみたら、いきなり「マイク持ってこのセリフ読んでみて」と(笑)「こちらは安曇野市消防団第一分団です!」って読んだらなぜか「 面白いかも!」と思い結局そのまま参加しています。
途中、引っ越した関係で団が変わりましたが、協力隊という立場を考慮したうえで臨機応変に対応してくださいました。ありがたい話です。
消防団には入らず、できる範囲で地域に関わる選択肢も
川田:僕は逆に消防団に一切関わっていません。ただ、池田町も強制ではないので、高尾君の言うように3年後どうなるかわからない状態で無理やりというのはないです。
消防団の件も含めて「地域との関わりをどう持つか」が、協力隊員にとって大きなテーマで、自分がどういう役割を地域で担えるのかがポイントかなと。
僕は防災に関しては、社協にボランティア登録しています。自分の地域での役割としては火消しに行くよりもそっちだと思っているので。でも、早起き野球は参加しています。各々、負担にならない程度に自分のできる範囲で地域と関わるのがいいのかなと。
コミュニティとの関わり方
伊藤:「地域との関わり」でいうと、消防団や早起き野球のほかに自治会・町内会もありますよね。自治会や消防団が伝統的なコミュニティであるのに対して、ここまでの皆さんの話には若者が集う新しいコミュニティを作ろうという話がありましたよね。協力隊としてコミュニティとどう関わるか個々にお話を伺ってもいいですか?
高尾:いいキッカケになったのは、私が赴任して4か月後にオープンした穂高のゲストハウスです。そこのオーナーと知り合い、改装中のゲストハウスに出入りするようになりました。
ゲストハウスとホテルの違いって、ゲストハウスは作る段階からいろんな人が関われるんですよね。「一緒に壁塗りしましょう」とか「味気ない玄関だから絵描こうか!」みたいな。製作段階から多くの人を巻き込むことで、いろんな人と知り合えるし、その後も共通の集う場所がある。ここは今でも私にとって大切なコミュニティの一つです。
私みたいに、移住者の多くは地元の人と比べて、広く浅く様々なコミュニティに属している人が多いかもしれません。なお且つそれは、家族でも職場でもないし、自治会や区でも消防団でもない3つ目4つ目の居場所になっています。
お互いに理解しあう手段としてのコミュニティ
西澤:私は子どもがいるので、地区の行事に積極的に参加することを心がけています。他に、子ども関係だとPTA・保護者会も必然的に関わることになります。保護者会には幹事という形で携わっていますが、やはり知り合いがたくさんほしいのと、多くの情報をキャッチしたいという狙いがあります。
個々それぞれの考え方があっていいと思いますが、僕はコミュニケーションの中から様々な情報を集めたい人間なので、積極的に参加しています。
稲澤:皆さんの話を聞いて、大町市との大きな違いを見つけました。実は、大町市はどちらかというとビジネス協力隊なんです。例えば、協力隊は全員同じ市営住宅に住んでいます。マンションなんですが、マンション管理組合のお手伝い的なことはする一方で地域の自治会とは切り離されています。
ただ、私は定住するつもりなので昨年末に自治会に入れてもらいました。自治会にはいい面も悪い面もあるので、当初入るか悩みました。そんなとき市の人に「入らない人をなんて呼ぶか知ってる?フリーライダーって呼ぶんだよ」と言われました。
つまり、みんなが一緒にやってきた活動や保ってきた景観にタダ乗りしていることになるんだよと。あまりに強制されるようだったら「やだ」と言いますが、そういう場所でもなさそうなのでとりあえず入ってみました。地元の人と移住者がお互いを理解する手段という意味で、自治会の活動は意外と有効的かなと感じています。
地域の人とどのように距離を縮めていくのか
伊藤:今の話題に関連して全協力隊が悩む問題に移ろうかなと。稲澤さんがおっしゃったように、行政関係者以外の一般住民との距離の縮め方って、皆さん苦労する部分だと思います。
「どうやって距離を縮めたのか?」これは、協力隊だけでなく移住者全般に関わる課題なのでぜひ聞きたいです。
西澤:僕が勤めている安曇野ちひろ公園も前にいた支援センターも、基本的に人が集まる場所です。なので村民の皆さんと交流する機会は多くありました。そこで仲良くなってくると「週末空いている?」って、稲刈りのお誘いがくるようになります (笑)
業務もあるので行きたいけど行けない状況が頻発し、断わることもあったのですが、そうすると「声かけたのに彼は来られないのか。今後は誘うのやめようかな」と思われてしまう。それが嫌だったので、松川村独自の制度を提案して作りました。
協力隊は基本的に週5日間勤務ですが、月20時間は業務時間内でも申請すればフリーに使っていいよという制度です。その申請が通り、業務中に稲刈りしたりお手伝いが気軽にできるようになったので、一度開いた距離も制度によって縮まりました。
稲澤:私は「イイトコ探し隊(協力隊)」であることを市民にアピールするバッジやポシェット、ステッカーを作って身に着けています。あと、私は取材を通していろんなところに行ける活動内容なので、「取材を通して様々なジャンルの人と知り合い距離を詰めていく」という方法を取っています。それがキッカケで気に入ればしょっちゅう足を運ぶようになって、結果的に漬物屋さんで働くことにも繋がりました。
多様な人々が地域に関わるために
伊藤 少し話を変えますが、数年前にマイルドヤンキーという言葉が話題になりました。地元志向が強く内向的・上昇志向があまりない・郊外での消費が好き・結婚も子供ができるのも早い、などが特徴として挙げられます。そして、合わせて語られたのがマイルドヤンキーに代表される地方の若者は幸福度が高いということでした。
しかし昨今、この言説は変化してきていると言われています。今、注目されているのは地元暮らし層(マイルドヤンキー含む)と移住者をつなぐ存在としてのUターン者の存在です。Uターン者は地方と大都市両方を経験しているので、地方の現状に対して主観性も客観性も兼ね備えています。
さらに、彼らは地元の人とのつながりを0から構築する必要がありません。協力隊を含む多くの移住者が悩むこの問題を、地元の人と繋がっていて移住者の気持ちも分かるUターン者は飛び越えられるのです。つまり、地域の様々な層をつなぐ媒介者になれる。
つながりが重要と言われる現代において、地方社会でUターン者が果たす役割は大きいと思いますが、川田さんは若者交流事業や地元の人と移住者が交流する場所づくりに関わる中で、このようなことを感じることはありますか?
川田 確かに、池田町と周辺市町村での若者交流事業で中心的な役割を担ってくれている人はUターン者が多いです。ですが、リアルは二分化している気がします。地元の人が集まる場所と、Iターン者が集まる場所が分かれている。
特に、Iターン者はコミュニティ難民と呼ばれることもあり、自分たちで新たなIターン者コミュニティを作る傾向があります。ただこれに関しては、僕自身とても共感できる。地元の人は別に新たなつながりを欲していないし、移住者もわざわざ地元の人と0から仲良くなるのは面倒だったりするので。
ただ、直感的に、僕はこの二つの層が一緒になったほうがいいと思い様々な活動をしています。今後、コミュニケーションの価値が変わりコミュニケーションの必要性が薄れていきます。
数十年前は自治会で対処しなければならなかった問題が家族だけで解決できるようになったり、スーパーのレジが全てセルフサービスになったり。ただ、何でも必要でなくなった時に新たな価値が生まれます。あえて同じ場所に集まったり、メールで済むやりとりを電話でしてみたり。そんなことを踏まえて、様々な層の人たちが分かれているよりは一緒になったほうがいいと僕は思います。
地元の人と移住者でいえば、両方が歩み寄れる場所があればいいなと。そんなことを、若者交流事業や大町でのシェアハウス事業で実験しているような感じです。
伊藤 川田さんの話を別の切り口から捉えると、「多様性ってやっぱり重要だよね」となるのかなと思いました。一つ興味深い話をすると、アメリカのスコット・ペイジという研究者が「多様性予測定理」という定理を導き出しています。
これは、「集団(コミュニティなど)を構成している個人の予測の多様性が増すほど、集団としての予測が正確になる(個々の能力不足を多様性の拡大によって補える)」ということです。違う言い方をすれば「差異が多ければ多いほど、その和は正しくなる。」
川田さん含め3人の話でも触れられたように、僕らは未来が不確定で予想しにくい時代を生きています。数十年前、日本の人口が減少に転じると何割の人が本気で思ったでしょうか。数十年前、どれだけの人がこんなに空き家が増えると考えたでしょうか。
明日のことさえ分からない時代に、少しでも正しい選択をする上で多様性の共生は欠かせません。多様性があるだけでなく共生することがポイントで、比較的保守的で排他的な地方だからこそ、これが必要です。地元の人だけでなく移住者も、行政職員だけでなく一般住民も、年長者だけでなく若者も。様々な層がコミュニケーションすることは多様性の共生につながり、より良い地域につながると思います。
※本記事は信州池田活性化プロジェクト「Maple Tree」が発行するフリーペーパー『いけだいろ』13号からの転載です。
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