ゴーン事件とうまくいかない地域活性化・地方創生の共通点-よそ者成功者に対する共同体の意識-

日産前会長カルロス・ゴーン氏の一連の事件は、さまざまな日本の問題をあらわにしてきた。ルノーと日産の経営統合問題、グローバルスタンダードについていけず日本的な共同体意識でなんとかコントロールしようとする日産の姿勢、日本の法治国家としての弱点の露呈、日本の空港の警備体制の脆弱さなどあげ始めればきりがない。

一連のニュースをメディアを通してみながら多くの人は「自分には関係ないこと」と思っているかもしれない。しかし、もしも一連のニュースで取り上げられる問題が実は私たちの身の回りでもよくある問題だとしたらどうだろうか。

本記事ではゴーン氏の功績と一連の事件につながる過程を、地方地域社会でよく起こる問題「よそ者成功者へのねたみ・嫉妬」と重ね合わせてゴーン氏の事件から我々が学べることと共通点を考えていく。

ゴーン氏は外部から来て日産を再建させた「よそ者成功者」

ゴーン氏は1999年に倒産寸前の日産にルノーから最高執行責任者として送り込まれた。ゴーン氏は2000年に社長になると、約263万台だった日産の世界販売台数を2016年までに約556万台と倍増させた。

外交面でもゴーン氏は優れていた。それまで手薄だった中国やロシアの市場を開拓し、ルノー・日産のアライアンスという世界に類をみない規模のアライアンスを車会社ビッグ3に匹敵する規模まで拡大させた。

ゴーン氏はバブル崩壊後くすぶりもがいていた日本の製造業に光を差し込んだ。ゴーン氏の「日産リバイバルプラン」によって、倒産寸前の日産はわずか1年でV字回復を実現。ゴーン氏の手法と結果は多くの日本人経営者の手本となった。

輝かしい功績を残したゴーン氏はルノーという別の会社からきた「よそ者」である。もしもゴーン氏が日産出身であったらこれらの輝かしい功績を残すことはできなかっただろう。なぜなら客観的に倒産寸前の日産をみたからこそ、行うべきことが分かったから。日産復活のために必要なのは「馴れ合いの廃止」と「コストカット」と「大きな目標の達成のために小さな犠牲を認める」ことであった。

共同体の中の人にはできないことをゴーン氏は全て実行した

2010年代に入ってから急速に進められてきた地方創生や地域づくり活動には、2000年頃の日産と共通する部分がある。当時の日産はそれまで続けてきた手法では限界があり倒産寸前にも関わらず、自分たちではどうすることもできなかった。そこで選んだ策は「よそ者」の力を借りること。

地域づくりの現場では、いつからか「よそ者」「若者」「ばか者」が地域を変えるといわれるようになった。使い古された言葉であり近年は否定する人も増えてきているが、ケースによってはまだまだ使える標語だと思う。なぜなら当時、日産にきたゴーン氏はまさに「若者」「よそ者」「ばか者」だったからである。

1999年に経営危機が表面化した日産のCEOになったカルロス・ゴーン氏は当時45歳。日本の大企業の経営者の中では確実に「若者」だった。ルノーという日本国外の会社から日産に来た「よそ者」だった。そして従来の大手日本企業ではなかなかできなかった改革を実施し、その姿は従来の日本の価値観に照らし合わせて端からみると「ばか者」であった。

「よそ者」「若者」「ばか者」成功者へのねたみや嫉妬はどこにでもある

ゴーン氏の力だけで日産は立ち直ったわけではない。しかしゴーン氏がいたからこそ日産はV字回復し復活を遂げたのは誰もが認める事実だろう。ゴーン氏は成功例を積み重ねていくほど社内での影響力を増していった。そんな様子を古くから日産にいた人たちやニュースを通してみていた国民はどう思っていただろうか。

ビズPRQがWeb上で実施した調査によると、退任後のゴーン氏の報酬50億円に対して6割の人が「高すぎる」と感じていることがわかる(ゴーン氏の報酬50億円は「高すぎる」が6割。スピード解任肯定派は約4割)。50億円は一般人の感覚からすると高いかもしれない。しかしゴーン氏は一般人ではない。倒産しかけていた日本の大企業の業績をV字回復させ販売台数を約2倍にしたヒーローである。日産の回復によって日本経済や私たちの生活が受けた恩恵は決して少なくないだろう。

ではなぜ約6割の人が「高すぎる」と感じるのか。それはゴーン氏が海外から来た外国人という「よそ者」であり、日本人にはできなかったV字回復という成功を「若者」が成し遂げたからであり、大きな目標達成のために小さな犠牲を認めるような「ばか者」だったからである。

共同体が成功するよそ者に対して発動する意識的・無意識的な邪魔行為

一般人よりもゴーン氏に近いところにいた日産の日本人幹部たちは、どんどん日産を成功に導くゴーン氏をねたんだだろう。法律に違反した事実は決して許されるべきことではないが、もし同じ事件を日産に古くから務めて社長になった人物が行っていたら人々の反応はどうなっていただろうか。ここまでのバッシングにはなっていないように筆者は思う。

押さえておかなければならないのは「よそ者」成功者は共同体で嫌われるということである。これは社会学者ゲオルグ・ジンメルが1800年代後半のドイツで地方と都市の比較研究を行っていたころから明らかなことである。

日産という古き共同体でよそ者のゴーン氏が成し遂げた成功に対する日産上層部のねたみや嫉妬と、地域活性化をある面で成功させるよそ者に対する地域の重鎮からのねたみや嫉妬の質は同じものだ。このねたみや嫉妬はさらなる成功に向かうよそ者の足を引きずり、意識的にも無意識的にも失敗させる方向に力を使うのである

まとめ-根本で変わろうとせず成功者の足だけ引っ張ろうとする人こそ退くべき-

ゴーン氏は潰れそうな会社を立て直すため、まずは傷が深くならないように不要なものはカットした。地域活性化・地方創生で成功している自治体や団体も実は多くが同じことをしている。新しいことを始めるだけではなく、時代にあわないコストパフォーマンスが低いものをカット&改善することで負担を減らし、負担が減った分新しいことに時間とお金をかけているのである。

もし共同体の中の人だけで変わろうとするのなら、根本から見直し不要なものをカットする勇気を持たなければならない。それができないのであれば、潔くよそ者や若者の力を借りて成功させればいい。

日産の幹部や重鎮たちは表では変わろうとしていたが、根本では変わろうとしていなかった。そしてよそ者に奪われた栄誉や成功を取り戻すためによそ者成功者の足を引っ張った。「ゴーン氏は悪いことをしたんだぞ!」という人も多くいるかもしれないが、日産の幹部はもっと早くにゴーン氏の間違いを指摘し過ちを直すこともできたのではないか。

彼らはサポートすることはせず、よそ者成功者が失敗するのをただただ静観していただけといわれても仕方のないことをしている。では、なぜ同じ会社の仲間に対してサポートをしなかったのか。それはねたみ嫉妬し邪魔だと思っていたからだろう。

地域でも同じことが起こっている。よそ者成功者にこれ以上成功してほしくないから既得権益を持つ人たちが足を引っ張ったり、困っているときにサポートすることはせず結果的に失敗したら「だからあいつはダメなんだ」とすべてを否定したりする。失敗しそうなときは一丸となってよくしようと努力すればさらなる成功が得られるかもしれないのにだ。

全てを否定したあとに何が残るだろうか。よそ者成功者がいなくなった日産もよそ者成功者がいなくなった地域も、何事もなかったかのようによそ者が現れる前の姿に戻っていくだろう。では現れる前の姿とは何か、それは倒産寸前の共同体の姿である。

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