あのときの「つながり」「絆」がない-東日本大震災とコロナ禍を比較して-

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東日本大震災後、世のなかでとても多く聞かれた2つの言葉がある。それが「つながり」と「絆」だ。公益財団法人日本漢字能力検定協会が毎年選ぶ「今年の漢字」に2011年は「絆」が選ばれた。各種プロジェクトでは名前に「つながり」を冠し人々の連帯を求めた。

コロナ禍の現在この2つの言葉はあまり聞かれないように思う。聞かれたとしてもそれは「会えないことでつながりが希薄化している」という言説であり、「いまこそ絆で乗り越えよう」「いまこそ人とのつながりを大切に」といった意味合いでつかわれるのをあまり見聞きしない。

東日本大震災後にあれほど人々の連帯を強め大きな社会的危機を乗り越えるためのスローガンとなった「つながり」「絆」は、いったいどこへいったのか。

東日本大震災後とコロナ禍の違い

東日本大震災とコロナ禍は大きな社会的危機という意味では同じ括りでとらえられる。しかし個々の事象の特徴を比べるとそれは全く異なるものであることが当たり前だがわかる。

東日本大震災は主に東北3県を中心に大きな被害をもたらした。それは突発的な一瞬の出来事であり社会には明確な「東日本大震災前」と「東日本大震災後」あった。そこにはコロナとは異なり「東日本大震災真っ只中」はなかったのである。

東日本大震災の死者数と行方不明者数は2016年時点で15,894人(宮城県9,541人、岩手県4,673人、福島県1,613人、茨城県24人、千葉県21人、東京都7人、栃木県4人、神奈川県4人、青森県3人、山形県2人、群馬県1人、北海道1人)、行方不明者2,562人であった。一方コロナによる日本の死者数は919人。国によっては東日本大震災と同程度かそれ以上死者が出ているところもあるが、幸い日本は900人ちょっとで収まっている。

東日本大震災とコロナ禍では「当事者性」「私とあの人たち」の認識が違う

東日本大震災は日本の中でも特に宮城県・福島県・岩手県の3県が大きな被害を受けた。1人1人は大小さまざまなレベルで地震の影響はうけたものの、それは東北3県とは比べ物にならないものであり大きな被害を受けた「当事者」と「私」の間には明白な壁を人々は感じていた。

その壁は容易に「私も被害を受けている!」といえるようなものではなく、メディア上で東北3県の様子が映し出されるたびに「ここに住む私」と「被害を受けたあの人たち」の違いをまざまざと感じさせられた。

コロナ禍は東日本大震災のような「あの人たち」は存在しない。それはいつ誰がかかるかわからない見えない社会的危機であり、明日急に危機の当事者に「私」がなるかもしれない。私は当事者にならなくても隣の家の人が「当事者」になるかもしれない。

いつ誰が「当事者」になるかわからない不安がつながることを阻む

東日本大震災のように見える化された「私」と「あの人たち」の境界が存在するときに、人間は自己中心的にならずに「あの人たちを助けたい」「あの人たちと比べて私は幸福だ。だから私たちも頑張ろう」という気持ちになる。それはメディアによって連鎖することで大きなうねりとなり、うねりはいつの日か「つながり」「絆」という言葉で表されるようになった。そして「つながり」「絆」というスローガンは人々を連帯させ、どん底から希望への向かう道しるべとなったのである。

しかしコロナ禍は違う。「私」と「あの人たち」の境界は存在せず、いつ誰が「当事者」になるかわからない不安をみんなが抱えている。東日本大震災後のように「私はあの人たちと比べて…」と考える余裕はなく、みんなが「私が私が」と不安からくる恐怖に苛まれ自己中心性を高まらせている。

大切なのは「私の命」であり、大切な私の命を守るものは「つながり」「絆」ではなく徹底的な守りの態勢。守りの態勢を脅かすものは全て敵に見え人々は不安と敵視によって、ある種の競争の渦へと巻き込まれていく。コロナ禍は「みんなで頑張ろう」ではなく「各々がんばろう」となり、「つながり・絆でこの危機を乗り越えよう」ではなく「抜け駆けするもの・迷惑を与えそうなものへの攻撃」となっている。

そこにはあのときの「つながり」「絆」はない。

まとめ-10年で深まった「勝ち組」と「負け組」の格差・対立-

東日本大震災後とコロナ禍を比べるなという声はもっともである。しかし私たちは大きな時代の変化をこの間約10年で味わってきた。EUから英国は離脱し、米国ではトランプ大統領が誕生、経済的不安やAIと自動化による仕事への不安は高まっている。10年前以上に「勝ち組」と「負け組」の格差は開き、イアン・ブレーマーの言葉を借りれば「対立の世紀」の様相を深めている。

東日本大震災後、Twitterは利用者層を急速に拡大した。震災後はデマ情報も多く出回ったがそれ以上にこの危機を乗り越えるための知恵や行動がSNS上で共有された。ではコロナ禍はどうだろうか。SNS上ではこの危機を乗り越えるための知恵や行動以上に、さまざまな対立構造がみられるように筆者は感じている。そこでは「みんなでこの危機を乗り越えよう」という意識よりも、自己中心主義的な他者への批判とネガティブな集団主義が散見される。

Twitterを筆頭にSNSはこの10年で利用者層の島宇宙化が進んだ。1歩異なる島宇宙に入ったならそこでは理解不能なコミュニケーションがなされており、一言話そうものなら紛争が勃発する。この紛争は社会をアップデートするために必要なL. コーザーが提唱した紛争理論のような紛争ではなく、とくに社会をアップデートさせずに人々を疲弊させるだけの紛争である。

コロナ後の世界で東日本大震災後のような「つながり」や「絆」がスローガンとなる日は、果たしてくるのだろうか。それとも待っているのは島宇宙化した世界でコミュニケーションを拒否し思考と主体性を失った人間といえるか怪しい人間の増殖だろうか。すべては私たちの一挙手一投足にかかっている。

この記事を書いた人

Masato ito

1996年長野県生まれ。大学在学中に自身が代表を務める事業が長野県地域発元気づくり大賞を受賞。現在は一橋大学社会学研究科にて国内移住に関する研究を行いながら、KAYAKURA代表として長野県を主なフィールドに観光インバウンド・移住・まちづくりのコーディネート・プランニング・調査・PRを多数手がける。2019年からは都内の企業と地方の企業や自治体をつなぐ新たな取り組みも開始。訪日観光客向け観光情報発信サイトNAGANO TRIP運営。池田町第六次総合計画審議委員。週刊SPAや公益社団法人 日本観光振興協会発行『観光とまちづくり』など寄稿多数。2019年4月から東京都国立市と長野県池田町の2拠点居住実践中.