移動格差(モビリティ・ギャップ)とは、「人々の移動機会をめぐる不平等が原因で生じてしまう様々な格差」を指す概念です。この場合の移動やモビリティとは、車や鉄道といった狭義のモビリティに留まらず、車、鉄道、運輸、移民、移住、観光、関係人口など、人やモノ、情報、資本などの移動全てを指します。
現代社会において「移動の自由」は、恒常的に希少で不平等な流通商品として階層化の要因となっています1。すなわち、素早い移動と社会階層が関連し、モビリティをめぐる排除や不平等性が高まっているのです2。
例えば、高齢者の自動車事故を例にみてみましょう。高齢者の自動車事故は社会問題となっており、高齢者に対して自動車免許の返納を求める機運が日々高まっているように感じます。
しかし、地方の場合、車がないと生活必需品が買えない、病院に薬をもらいにいけない、知人や家族と会えないという地域が多々あります。そういった地域では、鉄道へのアクセスもしにくく、公共交通バスも減便傾向にあります。
そのため、もし自動車免許を返納した場合には、「自由に移動できる」という人として当たり前の「移動の権利」が剥奪され、生きていくために必要な諸々へのアクセスもできなくなってしまうのです。
移動格差という問題の本質は、移動とは私的なものであると同時に「社会的なものである」という点にあります。移動格差は、個人の問題ではなく社会的な問題であり、自己責任ではどうにもならない社会全体で解決していくべき課題なのです。
移動性(モビリティ)の高まりという幻想
「現代は移動の時代である」と言われるほど、私たちの暮らしは移動によって支えられ、形作られています。日常のあるシーンを切り取っただけでも、これだけの行動が移動と直結しています。
- 職場や学校に通勤通学する
- 旅行や観光に行く
- 食材や日用品が近所のスーパーマーケットに届く
- 電気やガス、水道が家や職場で使える
- ECサイトで頼んだ商品が家に届く
- SNSを通して海外の友達と通話できる(情報の移動)
しかし、「移動の重要性が高まっていること」は、必ずしも万人の「移動性(モビリティ)が高まっている」ことと同一ではありません。
意外と変化していない長距離移動の回数や移動をめぐる基本的構造
地理学者のPooleyらは、1990年代から2000年代のイギリスにおける日常的な移動を分析しました。その結果、仕事目的や自動車による移動距離は急増している一方で、ほとんどの日常移動は短距離で、特定の地域内に限定されており、多くの移動の重要性には変化がなかったと指摘しています3。
そして、この結果から20 世紀の経済的、社会的、技術的、文化的な変化は、多くの人々の移動機会を高めたかもしれないが、イギリスでは移動距離は伸びたものの、長距離移動の回数や移動をめぐる基本的な構造は変化しておらず、人々の移動性(モビリティ)は相対的に少ないと結論付けました。
減少する三大都市圏に移動する人口と移動の階層化
異なる移動かつ日本の状況もみてみましょう。社会学者の貞包英之氏は、東京、中京、大阪の三大都市圏に移動した人口の推移を分析した結果、長期的にみれば移動者は1970年に158万人を記録して以降、1970年代、また1990年代半ばや2000年代末に目立って減少し、2011年には最盛期の半分の79万人にまで減っていることを指摘しています。
この結果から貞包氏は、移動が階層化されており、学歴や特別の資産、コネを持たない者は、地方を出づらい傾向が高まっていると指摘しています。さらに言い換えるならば、「移動できる者」と「移動できない者」の二極化が地方では進んでおり、移動の機会の減少はそれまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪っていると指摘しています。4
他にも、海外の高等教育機関へと留学する日本人学生数は2004年をピークに減少傾向にあること5。自動車依存社会によって自動車を運転できない人々にとっては逆に暮らしにくい社会となっていることなどが指摘されています。これらを踏まえると、移動性(モビリティ)が社会の重要な基盤となっており、その重要性はある面では高まりつつある一方で、人々の移動性(モビリティ)が高まっているとは一概に言えないことがわかるのです。
移動格差の要因はどこにあるのか
移動格差の要因となる移動資本(モティリティ)
移動格差の構造は複雑であり、要因を単純化して語ることには注意しなければなりません。しかし、様々な研究からいくつかの重要な要因は明らかになっています。
スイスの社会学者であり、モビリティ研究の第一人者であるヴィンセント・カウフマン氏は、個人や集団がモビリティの可能性の領域を手に入れ、それを基盤に個人的なプロジェクトを展開する方法、分かりやすく言えば人が移動する能力を「モティリティ(motility, 可動性)」と名付けました6。「移動資本(mobility capital)」とも呼べるかもしれません。
カウフマンらによれば、モティリティを構成する要素には、身体的能力、経済的手段、定住生活や移動生活への願望、交通や通信の技術システムとそれへのアクセシビリティ、職業スキル、外国語能力、その他の習得したスキルなどがあります。
表はモティリティを構成する要素です。時期によって言い回しや定義は少し異なっていますが、大きくは移動または移動へとアクセスできる経済的・時空間的条件を指す「アクセス」、移動を可能にする能力や知識を指す「スキル」、アクセスやスキルを何をするかを規定する移動と関連する価値観や習慣を指す「認知的充当」に分けられます。
少々難しい説明となりましたが、簡潔に言えば移動格差の要因は、移動機会へのアクセス性を規定する経済的、地理的、社会的状況、移動を可能にするスキル(運転免許証の有無など)、移動をめぐる価値観や習慣などによって説明できると言えます。
なお、重要なポイントは、これらの要因もまた別の要因によって規定されているということです。以降は、大きな要因となる社会階層、つまり収入や社会的地位と移動格差の関連性をみてみましょう。
移動格差と社会階層
貞包氏も指摘の通り、現代社会では移動が階層化されており、学歴や金銭的資産を持たないものは移動しにくくなっています。それは、三大都市圏からの転出に限らず多くの移動に共通して言えることです。
わかりやすい例として、海外旅行をみてみましょう。ここでは、社会学者の舞田敏彦氏の分析を参考に議論を進めます7。
まず都道府県ごとの海外旅行経験率をみてみると、各県の1人あたり県民所得(2013年)と+0.5669という相関関係にあることがわかりました。このことから、地理的、社会的、経済的条件により、海外旅行という移動機会に格差が生じていると言えます。
海外旅行は家庭環境による差も大きいことが指摘されています。生活の全面を家庭に依存する子ども世代では格差が顕著であり、小学生の海外観光旅行経験率を家庭の年収別に出した統計によると、年収が高い家庭の子どもほど海外旅行の経験率が高いことがわかります。
さらに注目すべきは近年の変化であり、年収1,500万円超の富裕層だけが急激に伸びている(12.0%→22.0%)一方で、年収300万円未満の貧困層では減少しているのです。つまり、子どもの海外旅行を例に取ると移動格差は拡大していることがわかるのです。
このように、移動格差は年収や家庭環境、居住地域などと強く関連しており、かつ格差は代を超えて親から子へ、そして次の世代へと再生産されていく可能性をはらんでいるのです。
最後に-移動格差を超える「モビリティ・ジャスティス」という視点-
「移動格差の再生産」に対して、自己責任であると言ってしまうのは簡単です。しかしここまで読んできた方であれば分かる通り、それは自己責任という言葉で片付けてしまうにはあまりにも非個人的な、社会的な問題です。生まれ育った家庭環境、親の年収、住んでいる地域、職業、人種、ジェンダーのように、必ずしも個人が操作可能な要素ではないものによっても移動格差は構築されているのです。
そこで、いま重要性を増しているのが冒頭で説明した「移動を社会的なものとして考える」という視点です。この視点を体現した研究領域と概念として、社会学を中心に関心が集まる「モビリティ・ジャスティス(Mobility Justice)」があります。
「移動の正義」や「移動の公正性」とも訳されるモビリティ・ジャスティスとそれをめぐる研究は、ある人々やコミュニティの移動と居住の自由が、他の人々のモビリティの低下や変位に依存しているという洞察を中心に展開されています8。
特に、アメリカの社会学者 Mimi Sheller氏は、主著『Mobility Justice』を中心に、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、能力、市民権などによって分断された不平等なモビリティを関連付け、気候変動を含む生態学的危機、特に富かな国々が化石燃料を利用した自動車依存を建築環境に組み込んでいる点に焦点を当て、この概念を発展させてきました。
わかりやすく言えば、ここまでの議論では日本国内の移動格差を扱ってきましたが、グローバルなレベルでも移動格差は生じており、それらが先進諸国とグローバルサウスの国々の不平等な関係性などに起因しているとシェラーは指摘するのです。先進諸国の自動車依存文化によって加速した地球温暖化によって、グローバルサウスの島国が津波や海面上昇のリスクに直面していることなどは、その一例です。
こうしたモビリティーズ・スタディーズと呼ばれる社会科学における移動研究やモビリティ・ジャスティスをめぐる議論は、移動格差を議論し、超えていくために重要な視点を我々に提供してくれます。
- 「移動できる人々」と「移動できない人々」の格差拡大+「移動できる人々」の移動を「移動できない人々」が支えているという不平等性への着目
- 移動と人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、能力、市民権などの関連性への着目の重要性
- 移動を社会的で政治的なものとして捉える=移動に関する問題を、個人の問題としない
- テクノロジーだけでは移動格差は解消できない、政策制度のアップデートも同時進行で
今後ますます移動の公正性や持続可能性の重要性が社会的、政策的に高まることが予想されます。
民間企業で移動関連の事業に関わる人、行政で移動と関連する施策に関わる人などは、ぜひ本記事のような議論と視点を意識的に取り入れてみてはいかがでしょうか。そして、移動格差の解消に向けてできることがないか、自分たちにできること、行動に移せることがないかぜひ考えてみてください。
モビリティや移動格差などに関する講師講演や執筆、メディア出演解説、各種委員、調査分析の受託、関連事業の支援サポートなどを行っております。持続可能でより良いモビリティのあり方を目指す自治体担当者や民間団体の皆さま、困り事を考えている皆さまは、まずはお気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。KAYAKURA・国際大学GLOCOM講師 伊藤将人のプロフィールはこちら】
- Bauman, Z.(2000)Liquid Modernity, Cambridge: Polity.(=2001, 森田典正訳『リキッド・モダニティ』大月書店) ↩︎
- Cresswell, T.(2010)Towards a politics of mobility,Environment and Planning D: Society and Space, 28: 17-31. Sheller, M.(2018)Mobility Justice: The Politics of Movement in an Age of Extremes, VERSO.
↩︎ - Colin G. Pooley., Marilyn E. Pooley.(2022)「Everyday Mobilities in Nineteenth- and Twentieth-Century British Diaries」,Palgrave Macmillan. ↩︎
- 貞包秀之(2016)「日本人が「移動」しなくなっているのはナゼ? 地方で不気味な「格差」が拡大中」現代ビジネス ↩︎
- 文部科学省「高等教育機関への単位を伴う留学者数」 ↩︎
- Kaufmann, V.(2002)Re-Thinking Mobility: Contemporary Sociology. Ashgate. ↩︎
- 舞田敏彦(2017)「海外旅行格差から見える日本社会の深い分断」Newsweek. ↩︎
- Verlinghieri, E., & Schwanen, T. (2020). Transport and mobility justice: Evolving discussions. Journal of transport geography, 87, 102798. Cook, N., & Butz, D. (Eds.) (2019). Mobilities, Mobility Justice and Social Justice. Routledge. ↩︎