敵を批判していても地域はよくならない-行政・年長者・よそ者への批判を考察する-

物事を単純化して考えるということは、思考がストップするということである。本当は複雑な事柄が絡み合っているにも関わらず、原因に対してそれっぽい結果を見つけて「あ!これだ!」と結びつけてしまう。

仕事でも、家族でも、地域でも、敵を見つけて批判しても状況はよくならない。自分が敵だと認識した対象のミスをどう乗り越えるべきなのか考えること、実際に自分から行動してみること、まずは相手の意見と考えを聞いてみること、これらが伴わなければ状況は改善しない。改善しないばかりか溝は多く聞くなり、共に課題に立ち向かうことはさらに遠くなってしまうだろう。

さまざまな地域に伺い現地の人と話していると、希望を語るのではなく、見つけた敵を批判する話を聞かされることがある。もちろん同情する部分もあるが、悪口を聞いていて気持ちよくないし、本当に改善できる人は悪口を言わず自分から動くよなぁといろんな人の顔を浮かべながら思ってしまう。

行政を批判する人

地域をよりよくするために取り組む人たちと会う中で最も多いのが行政批判だ。行政は批判に対して言い返してくることがあまりないので、地域の課題の元凶を行政の性にする人は多い。課題の中には行政が責任をもって変えるべきことも多いが、必ずしもそればかりではないはずだ。

行政を批判することは楽に快感を得られる。しかし遠方から批判するだけで実際に行政の人に対して思っていることをぶつけたことがある人は、一体どれほどいるだろうか。行政はM, Waberの近代官僚制を如実に反映した組織である。いまだに紙での記録主義で、年功序列、上司の命令は絶対な部分が多い。

「行政の人はこれだからダメだ」というとき、無意識のうちに対面している個人の批判になってはいないだろうか。行政に勤める人も大半はいい人である。しかし官僚制というシステムに組み込まれると人間だれしも個人的に悪いと思っていても変えられず考えることが止まってしまうことがある。逆にいえば同じ人間だからこそ、しっかり話して人と人の会話に持ち込むと、話に耳を傾け本当のことを話してくれる人もいる。

行政を批判して地域をよくしたと思っている人がもし読者の中にいるのなら、それは意味のないマスターベーションかもしれないと1度考えてみたほうがいいかもしれない。もちろん実りのある批判=課題解決につながる具体的な提案もある。敵を見つけて満足するのではなく歩み寄り共に行動したほうが、2倍課題解決までの時間は短縮できるだろう。

高齢者/年長者を批判する人

年長者は、いまの時代とは異なる時代を生きてきたといって過言ではないだろう。彼らが生きた時代は近代であり、いまは現代である。さまざまな分野でパラダイムシフトが起き、いまと20年的40年前では常識が全く変わってしまった。

人間の脳みそは時代の変化ほど早くアップデートされない。年長者が生きてきた時代に

常識だったことが今では常識ではないことは多くある。しかし常識をアップデートすることが難しいため、自分が生きてきた時代の常識で若者の取り組みや近年のトレンドを批判してしまうのである。

批判する年長者を批判することには、あまり意味がない。なぜなら彼らは生きてきた時代が違うのであり常識も違うからである。批判する時間があるのであれば、耳を傾けつつ自分が正しいと思ったことを進めたほうが時代にあった課題の解決策が提示できるだろう。

しかし1つだけ覚えておかなければならないことがある。それは1分1秒時間が進むごとに、自分もまた少し過去の人間になっているのである。「年長者はだからダメなんだ」といっている当人が、より若い世代に「あの人のいうことって古くで保守的で時代にあってないよね」と同時に言われているのである。そうわかったとき、果たして年長者を容易に敵認定し批判することはできるだろうか。

移住者/よそ者を批判する人

近代以降、世界のモビリティは高まり人々の移動は増えてきた。結果として地方都会問わず地域に住む人々の多様性は増し同一性は低下した。

移住者の増えたことで、地元住民と移住者の間でさまざまな摩擦が発生するという課題が顕在化してきている。田園回帰による地方への移住者の増加は、自然豊かな農村に移住を希望する人が多いことを示すが、裏を返せば地方に移住する人々は都市と比べて人の流動性が低く閉鎖的な環境へと転入する可能性が高いことを示している。

個人・家族単位での行動の自主性が尊重される都市での生活とは異なり、農村では住民同士が生活・生産の両面にわたって互いに深く関わり合うことが”当たり前”とされる。また、住民の生産や生活を支えるために様々の組織が存在し、これら組織やその活動に参加することも”当たり前”とされる。地元住民は自身の属するムラの永続性を希求するのに対し、移住者は自らの見出した”農村らしさ”を守ることに価値を置く傾向もある。

移住者と地元住民のライフスタイルや行動原理、価値観、人間関係の在り方に対する認識の間にはかなりの隔たりが存在し、地元住民だけ、都市住民だけの地域では起こる可能性が低い摩擦が発生するなんとなくの理由がここまでの説明でわかっていただけただろうか。

地元住民の移住者に対する認識や対応は、移住者の生活に多大な影響を与え、それとは逆に移住者の地元住民に対する認識や対応も、両者の関係性構築に多大な影響を与える。地元住民側の、「郷に入っては郷に従え」的な態度は移住者との間に見えない壁を建ててしまう一方で、移住者側の都会的価値観や都会的感覚も同様に地元住民との間に見えない壁を建ててしまうのである。

難しいことをつらつらと書いてきたが、ここで伝えたかったことはただ一つ。それは「ライフスタイルや価値観が違えば摩擦も起こる」という当たり前の事実。どちらが悪いという問題ではなく、双方ともに悪いともいえるし悪くないともいえるのである。なぜなら、ここで起こっている摩擦という地域課題は両者が協働で構築しているものだから。

まとめ-社会や時代が違えば常識も価値観も違うという前提-

最ももったいないのは、歩み寄ることなく初めから敵を見つけて批判だけに中菱くしてしまうことである。その間に批判することに注いだエネルギーを、歩み寄り協働することに注いだら、一体どれだけ自体が先進するだろうか。歩み寄り共に考え、ダメなら妥協案でいい。

地域における居住者の同一性が減っていく今日、求められるのは間に立って物事を調整し最善の妥協案を提案できる人である。調整役が地域には求められている。

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この記事を書いた人

KAYAKURA 編集部

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